法船に乗るには、必ず円満成就して師父に随って帰らなければならない
(明慧日本)私は法輪大法の修煉を始めて2年になります。修煉を始めたころは『転法輪』を読むことしか知りませんでした。後になって明慧ネットを閲覧したときに、煉功や発正念があることを知りました。これもネット封鎖を突破するソフトを作ってくれた同修と、黙々と明慧ネットの維持に努力している同修のおかげで、私のようなグループで修煉する環境にないものが修煉の情報を得ることができました。
しかし、明慧ネットから得ることばかり考えていた私は、大法弟子として自分も明慧ネットに参加すべきであることは、考えたこともなかったのです。今、私はペンを執り、今までの修煉をまとめることにしました。そこで自分の修煉の不足を見出し、さらなる精進の原動力にしたいと思います。
私は学法を始めて間もないとき、旅行に出かけました。乗っていたバスの天井の荷台から2個の重い荷物が落下し、私の肩に当たり地面に落ちました。何かが肩の上に落ちたのは分かったのですが、痛みを感じなかったので、私は特に気にしませんでした。その後、同修から「師父があなたの業力を取り除いてくださったのかもしれませんね」と言われましたが、私はあまり理解できなかったのです。
後になって病気の状態が現れたときも、同修にその理由を聞こうとしましたが、同修は「『転法輪』を繰り返し読めば分かる」と言いました。同修の言ったことを理解できなかった私は、常人の手段を求めて治療しました。今になって、それが業力の浄化だったことがやっと分かりました。
正月になって、ある同修がネットの封鎖を突破するソフトを持ってきてくれ、パソコンに取り付けました。そして共産党が歪曲した事実を一つ一つ目の前にして、私はすべが分かりました。初めのころは、安全ということを知らず、ネットの友人に、ネット封鎖の突破方法を教え、新聞に報道された記事を送っていました。ある日、同修は私に「明慧ネットを見るべきだ」と教えてくれました。そこで初めて明慧ネットのことを知りました。
初めて明慧ネットを開いたとき、最初に目にしたのは師父の写真で、とても親近感を持ちました。同修が書いた修煉体験談を見て、煉功の動作も見ました。発正念ということも分かり、それから発正念を始めました。
私は『転法輪』以外はほとんどの経文を持っていませんでした。我が家にはパソコンなどの設備が揃っていましたので、私は明慧ネットからダウンロードして印刷しました。同修が迫害の真相資料を配っていることを知って、その資料はどこにあるのか、誰に頼めばよいのかわからず、入手ルートは秘密にされているらしく、どうすればよいのか悩んでいたのです。
数日間悩んだ末、自分で真相資料を作ることにしました。パソコンの操作は以前からできたので、資料作成は簡単にできました。完成した資料をどこにおけば効果的か分からなかったので、明慧ネットで置き場所を探していたとき、資料にカバーをつけたほうがよいと分かり、私も資料にカバーをつけたところ、小冊子らしくなりました。
しばらくしてから私は紙幣で真相を伝えることを知りました。私はそのやり方を明慧ネットで勉強し、買い物のときにそれを使って真相を伝えました。その後地区でこの方法で真相を伝える同修が多くなりました。時にはつり銭の紙幣に真相の内容を手書きにしたものがありました。文字印刷はきれいなのに、なぜ手書きにするのか不思議に思った私は、ある同修に聞きました。その同修は「みなの家にパソコンがあるわけではないから」と話してくれました。そこで私は、同修の紙幣に真相の文言を印刷することを手伝いました。
数カ月後、感光性の真相資料を見かけ、私もできそうな感じがしました。同修にそのことを相談したところ、作れるものなら作ったほうがよいと言われましたが、どれだけの効果があって作るべきか迷いました。明慧ネットで関連資料を探していたとき、思わず脳裏に「作りたければ作ればよい」という一念がよぎりました。
そして、私は設備や機材を購入して作り始めました。作る過程では多少の難しさがありましたが、一部を作り上げました。同修にその完成した資料を渡したとき、とても喜んでくれました。このように私は設備の使い方が分からないところから、使いこなせるようになりました。この期間は少なからず自分の心性を修煉する機会でした。
たとえば機械が故障したとき、自分の修煉のどこかに問題があるのではないかと探しました。今思い返せば短い時間だったと思えるのですが、その当時は長い時間だと感じました。この前あまり会っていない同修に出会いました。その同修は「あなたが作った感光性の真相資料はとてもよくできていて、使いやすいです」と褒めてくれました。その話を聞いた私は嬉しかったのですが、すぐ冷静になり、顕示心が出てはならないと思いました。
ある日、同修と交流したとき、多くの同修は明慧の交流小冊子が入手できないと言ったので、私はほかに担う任務が少なかったため、小冊子を作っては同修に渡しました。
同修と『共産党に対する九つの論評』の作成に参加したとき、初めて資料拠点の重大な責任を感じました。コピー用紙は箱単位で使い、インクも大量に必要になります。明慧ネットの資料のダウンロードから、印刷、製本までの一連の作業はすべて修煉だと思いました。同修の努力に敬服しました。その製本の半ばで、私は止めようとしましたが、その原因を探してみると、それは旧勢力の妨害だったと分かりました。なぜならば、『共産党に対する九つの論評』は、旧勢力を暴露するための武器だからです。ですから旧勢力はあらゆる手を尽くして妨害するのです。原因が分かればそれを取り除いて、私は製本の作業に戻りました。
ある日、近所の同修が警官に連行され、十数日間拘留された後、釈放されました。そのことで私は恐怖心、怨む心、安逸心が表れました。しかし、そのときよく学法したおかげで、それらの執着心を取り除くことができました。今までは表に現れた執着心は分かったつもりでしたが、執着心の根元を見つけていませんでした。同修と交流した後、執着心の根元を見つけたときの玄妙さ、悟った法理は心の中で理解したつもりでいても、言葉で表すことのできないものです。
今の私は恐怖心や安逸心は少なからず残っていますが、今後の修煉の過程で取り除いていきたいと思います。修煉は本当に玄妙なもので、2年足らずの修煉を振り返って見たとき、以前の自分に比べれば大きな変化をもたらしました。やることは常人とあまり変わらないかもしれませんが、内包は常人と比べれば、はるかに超えているのです。
同修とともに精進したいと願っています。「法船に乗るためには、必ず円満成就して師父に随って帰らなければなりません」
2010年1月17日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/1/2/215431.html)
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