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いままで歩んできた道を大事にしよう(一)


文/ドイツの大法弟子

(明慧日本)修煉する前、私はどもりがひどく、電話を掛けることも、電話に出ることも、留守番伝言を残すことも怖がっていました。さらに人としゃべろうともしませんでした。チベットとかオーストラリアに行って、そこの先住民と一緒に生活しようと思ったこともあります。そうすると、からかわれる恐れもなく、しゃべることを恐れる必要もないからです。

 はじめて法輪功に出会ったとき、非常にすばらしい修煉方法だと感じました。これ以上困難と挑戦を避けてはいけず、挑戦に立ち向かうべきだと思い、これこそ心性を向上させるチャンスとみなしました。

 法輪功の修煉を始めたのは、大学に入ったばかりの頃です。当時、他の修煉者と一緒に授業の時間を利用して、法輪功迫害を反対する署名を集めました。最初は同修を助けて署名表を配ったり回収したりするだけでしたが、知らずしらずの間、満席になった教室の前で、流暢に署名用紙の内容を読み上げ、必要な説明をしました。たくさんの署名を集めた後、私はやっと師父が私自身では想像もできなかったことを、やらせて貰ったと分かりました。私は、感動で震えました。初めて自分のどもりを突破したのです。

 数ヶ月後、妻と私は実習のためオーストラリアに行くことになりました。出発前、私はある夢を見ました。夢の中で師父は私にオーストラリアに行く理由を教えてくれました。師父は「オーストラリアに行ったら、どもりが治り、英語も学べる」とおっしゃいました。目が覚めた後、私はあまり気にせず、どんどん夢の内容を忘れてしまいました。

 オーストラリアに来て初めて新唐人テレビの番組を見ました。その頃、私はある同修の家で、たびたび新唐人テレビを見させて貰いました。他のある同修は夫婦共に新唐人テレビの中国語ニュースを担当していました。私と妻も興味を持って、彼らを手伝おうとしました。

 私と妻は、適当な実習会社を探すことができず、オーストラリア在住の8ヶ月間ずっと大法を実証するプロジェクトに携わりました。その時、話さなければいけず、英語レベルも絶えず向上しました。たまにどもりが出るのですが、その頻度は非常に低く、英語の発音もますます上手くなりました。

 ドイツに戻ってから、私は翻訳の仕事に参加しました。英語からドイツ語に翻訳するのですが、オーストラリアに行く前はあえて翻訳しようともしませんでした。翻訳した文章をインターネットに掲載することはなおさらです。怯える心があって、他人に自分のやっていることを知られたくなかったのです。またからかわれるかも知らないと思ったのです。しかしオーストラリアから帰った後、英語が上手になっただけでなく、自信を持つこともできました。

 数ヶ月後、妻は新唐人テレビが英語ニュースを始めたという情報を入手し、新唐人テレビ局に連絡して、英語部の最初の実習生になりました。これは2005年のことです。妻は電話で私に、非常に少ない人数で、どのように15分のニュースを完成したか教えてくれました。

 妻が実習生になってから3ヶ月経った後、私は彼女を迎えにニューヨークに行き、2週間くらい滞在しました。その間、私もテレビ局のスタッフと一緒に、番組の製作に参与しました。初めて番組の編集が終わったとき、私は自分の一番好きな大法の仕事を見つけたと思いました。また、この仕事はあまりしゃべる必要もないのです。

 ニューヨークにいた最後の数日間、あるドイツの修煉者に出会いました。彼は私に「ドイツに戻ってから、あなたもスタジオを建てて、番組を製作してください」と話されました。私はびっくりました。人と直接話す必要がない仕事ですから私にとって非常に気楽ですし、たくさんの人に仕事の結果を見せることができて嬉しく思ったのです。しかし自分でスタジオを建てると、またたくさんの人としゃべらなければならないのでしょうか?

 (続く)

 2010年1月18日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/7/215845.html

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