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娘は修煉によって福を得た

(明慧日本)私の娘は1997年7月に大法の修煉を始めました。彼女は修煉する前に、非常に不思議な体験をしました。

 あれは1996年高校二年生の娘が突然鬱病になり、それから人が変わったように気性が激しくなり、少しでも思い通りにならないとすぐ怒ったり、ものを投げたり、時には家出もしました。他人がうらやましがるような家庭が急におかしくなりました。娘は学業を続けられないばかりか、私達夫婦の心をもずたずたになりました。どんな方法もためしてみましたが、効果がありませんでした。

 こんな窮地に陥いっている時、私達は1997年4月大法に出会い修煉を始めました。その後、私達は娘にすすめたり、『転法輪』を彼女に読んで聞かせようとしましたが、彼女は聞いてくれませんでした。私達も無理に押し付けませんでした。機縁を待ち、自分の修煉を続けました。

 1997年の7月、同修が私達をある大都市で開かれた交流会に誘ってくれました。私達は娘に「一緒に行って交流会を聞いてみよう、気晴らしになるから、遊びに行こう」と彼女はあっさり同意。そこに着くのが早かったため、同修は私達一家の記念写真を撮ってくれました。娘は同修が現像した写真を見て、彼女の側で立っている師父の法身を見つけました、彼女は「師父ではありませんか」とつぶやきました。

 そこで、娘は私達に「お父さん、お母さん、すぐに『転法輪』を私に貸して、読ませて」と言いました。私達は心から喜びました。彼女のその時の様子は、本当に至宝を手に入れたかのようでした、娘は一晩かかって一気に読み終えました。読み終わった後の彼女は、言葉では言い表せないものでした。私達は師父が娘の体を浄化して下さったことを知っています。あの時以来、娘のうつ病は治り、何も起こらなかったかのようでした。娘は大法の修煉に全身全霊で打ち込み始め、毎日学法、煉功をし続けました。

 娘の病気のため、大学受験の機会は逃しました。私は政府機関で働いているため、娘に何か公務員のアルバイトを探そうと思い付きました。あの頃、機関でアルバイトをするのは難しくお金を払っても探せません。私達は煉功者ですのでそんな事ができる訳がありません。だからただ考えただけで、べつに望みを抱きませんでした。偶然の機会で、上司に娘の事を話したら、上司は意外にも人事部門に声をかけてくれると言うのです。まもなく、上司は私に娘をまず機関に連れて来るように言いました。

 こうして娘はとても順調に政府機関で働き始めました。しかし機関で働き続けようとするには、基本的な素質つまり学歴が必要です。最低でも短大を出ていなければなりません。私は娘と学法をする時に話し合いました。学校にいる時は大学入試に参加出来なかったため、大学の卒業証書をもらい損ねましたが、今仕事をしながら、省で行っている試験に合格して大学の卒業証書を獲得することができます。

 働きながら独学する事は、圧力がとても大きかったのです。しかし娘は毎日見事に仕事をこなし、必ず学法する時間をつくって、試験の勉強をする時間も取り、仕事のために学法や学習課程を遅らせる事はめったにありませんでした。娘は他の人に比べれば多くの苦労をしましたが、修煉をしながら、ほとんどの教科は試験場で実力以上を発揮することができ、とても順調に2002年6月に、大学の卒業証書を獲得しました。その後、娘の働く環境も自然でバランス良く、幸せで円満な家庭とかわいい男の子にも恵まれて、子供も今は大法の小弟子になりました。

 この頃の経歴を振りかえってみると、彼女に知恵をさずけてくださったのは大法です。慈悲な師父は彼女に福をもたらしてくれたのです。

 2010年1月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/16/202820.html

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