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学法についての悟り

(明慧日本)私は長い間、心を込めて法を学んだことがなく、単に一つの任務として行っていました。集団学法の時も形式に走り、同修の読む番になるとちゃんと聞かず、早く順番が回ってくることを考えていました。学法が終わってから、大事な法を学んでいなかったことにやっと気付く有様でした。

 数日前、学校に通ったことがあまりなかったある同修が、集団学法に参加するため地方からやって来てきました。おかげで長い間、自分の気付かなかった執着心を発見できました。その同修は法を読むとき、一文字一文字をはっきりと読み、早く読もうとしません。どういうわけか、その読み声が心まで響きました。他の同修は滑らかに読んでいるのに、その同修のように聞き心地はあまりよくありませんでした。

 内へ向かって探した結果、その同修は全身全霊で法を学んでおり、師父と大法を尊敬しているからだと悟りました。

 その後、わたしは心を無にして、全身全霊で二段落を読みました。読んだ後、ただちに元気になり、眠気がなくなりました。さらに内に向かって探すと、学法する時、時間に執着するという焦る心があり、時間内で決めたことを完成しようとするからだと分かりました。また顕示心も発見しました。自分は教養があり、学法をよくしており、流暢に読んでいると思い込んでいました。大法を常人の理論と見なし、すでに分かったと考えて、無意識に自分の法理に対する理解が深いと認識してしまい、師を尊敬し法を尊敬することを忘れてしまいました。

 また、常人のことに執着する心があり、家事などを思い出して、一心に学法することができませんでした。子供の服をまだ洗濯してないことや、料理用の野菜を買わなければならないなどの雑念が頭に浮かんできて、心が静められませんでした。しかし、これらの心を放棄し、全身全霊で学法すると、法を学んで法を得る喜びを感じ取れました。もし、どうしても落ち着かなければ、まず『洪吟』を読むと、落ち着くことができます。

 ある同修はメンツをかなり気にするようで、自分が上手に読んでいないのではないか、読み間違っていないか、気にしながら滑らかに読むように力を入れています。結果、とても緊張したせいで、自分が何を読んでいるのか分からなかったようです。実は、これも自我を執着している現れなのです。修煉するというのは、無私無我に到達するためにあるのです。師父が『転法輪』の中でおっしゃったように「人が佛の名前を念ずる時、心には何も雑念がなく、大脳のその他の部分が全部麻痺して、何もかも分からなくなるまで、一心不乱に念じなければならず、そうすれば一念が万念に代わるので、『阿弥陀佛』の一文字一文字が目の前に現われてきます」

 同じ問題を抱えている同修の手助けになればと思います。間違ったところがあればご指摘をお願いします。

 2010年1月25日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/13/216190.html

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