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神韻の香港公演中止を受けて、内に向かって執着心を探す


文/中国の大法弟子

(明慧日本)中共の言いなりになった香港政府が、神韻芸術団の中核となる専属技術者6人のビザの発給を拒否したことで、公演がやむなく中止になったことを耳にして、私は中共の邪悪さに激怒しました。しかし、自分の心が動じていたのではないかと、すぐ気付きました。

 中共は邪で、毒素を撒き散らし、衆生を滅ぼすことを本業としているようなもので、行ったすべての悪事は自身の本性から出てきたことで、別に驚くことはありません。中共の瀕死のあがきであろうが、滅亡寸前の表れであろうが、衆生を救い済度する肝心なときに、公演のキャンセルが起きることは、偶然なことでしょうか? 師父は常人社会で起きるすべてのことは、大法弟子の心の表れだとおっしゃいました。それでは、大法弟子の私は、公演を中止させるような心を持っていなかったのでしょうか? やはりありました。

 私は、歓喜心が生じていました。神韻が香港で上演できると聞いて、私はとても喜びました。中国のすぐ隣なので、多大な影響を与えるだろうと想像しました。さらに、次は中国本土で上演することが目に見えているではないかと思いました。内に向かって探すと、時間への執着を持っていました。もし、神韻公演が中国国内でできれば、中共はすぐ崩壊してしまい、正法もついに終わりを告げるのだと考えました。前から、時間への執着を見つける度に、取り除いてきたのですが、やはり根本的な執着心が取り除かれていなかったのです。

 神韻への依頼心もありました。神韻なら1回の公演で少なくとも数百人、数千人の衆生を救い済度することができますが、私達の真相説明では1人を救い出すのに多大な努力が必要です。師父も、この方法がだめなら他の方法があると強調されたように、神韻芸術団が衆生を救い済度することだと考えました。

  中国では真相を伝えている大法弟子は人数が限られていますので、もし、神韻が来ることができれば、中国のすべての大都市を一度に巡回公演すれば、必ず多くの衆生を救うことができるでしょう。口で真相を伝えていくには限界があるため、正法の時間も限られている中で、最後にはやはり神韻の力を借りないといけないかもしれないと考えました。

  今まで修煉してきたのに、修煉の初めの頃のように精進できなくなったのです。ときには精進し、ときには緩み、ときには焦るのですが、ときには怠けてしまう現状が続いています。仕方ないと思っていました。いつまで真相を伝えなければならないのかと思い、安逸心で自分を緩めてしまい、緊迫感を失い、神韻への依頼心が生じてしまったのかもしれません。私1人だけがこの依頼心があるならまだしもですが、もし、多くの大法弟子に依頼心を生じれば、旧勢力が隙に乗じると、神韻公演は妨害されかねないと思います。

 私は自分のこのような修煉状態を恥ずかしく思っています。事件が起こる前に気付くべきことなのに、後になって分かるとは、自分の修煉がまだまだ足りないと実感しました。主な原因は、法を学ぶことが足りず、真心が足りず、法理を明晰に理解できず、多くの人心を抱えているため、神通力が発揮できませんでした。師父の言われた通りに行い、法を多く学び、法をよく学べば正念が自然に強くなり、大法弟子としての責任も果たすことができるはずです。自己をしっかり修めて人心を取り除き、より多くの衆生を救えるように、神韻が1日も早く中国で公演できるように精進すべきだと思います。これも全体で協力し合うことだと考えています。

 少しの悟りで、不適切なところがあれば、慈悲なる指摘をお願いします。

 2010年1月31日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/1/27/217053.html

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