■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/01/mh031137.html 



私心と無私心は雲泥の差

文/黒竜江省の大法弟子 

(明慧日本)私心と無私心、掛け離れた正反対の二つの境地であり、旧宇宙と新宇宙の特性です。師父は宇宙の根本的な佛法「真、善、忍」を用いて、旧宇宙の「私心」の特性を新宇宙の「無私心」と他人のためを考える特性にし、無量の衆生を救い済度して、各次元の宇宙天体を壊滅にしないようにされました。この中に、大法弟子が各自分担した無数の宇宙天体は、もちろん新宇宙の巨大な構成単位になります。それでは、私たちが修煉の基点を変えることは、自分自身の分担した宇宙天体の変化、広大な宇宙全体の新旧転化を推進することになるのではないでしょうか。

 何年も修煉している大法弟子は未だに修煉の基点を、死生の輪廻から脱出せずして円満成就になろうとの私の基点に置くのならば、きっと修煉の苦を感じて、精進しなくなり、トラブルに当たったり魔難に陥ったりします。なぜなら、旧勢力はいつも魔難を利用して大法弟子の心性を試練するいわゆる師父の手伝いをしています。旧勢力はなぜ大法弟子の間を隔てることができるのでしょうか。それは私たち自身が自我を放下できず、ひいては同修のことを犠牲にしても自分のことを守りたいからです。これこそ最大の私であり、旧勢力が死ぬまで私たちを迫害する口実です。

 「私心」は人間に内に向かって探す勇気を失わせ、人間に自分の欠点不足に向かう勇気を失わせます。根本的な私心をなくさなければ、たとえ大法のことをしても自分の円満成就のため、最大限に自我を守る損得の打算の中で考えているので、神聖な状態にならず、人を救い済度する効果も良くないと決まっています。反対に、他人のため無私心の基点に立っていれば、状況が変わります。例えば、執着心をなくすことに対して、恐怖心があって過ちをし、さらに大法の反対側に走ることもあるかもしれません。恐怖心は修煉者の人から神になるまでの至難の関です。

 また嫉妬心ですが、人に愚痴をこぼさせ心に悪い念を生じさせ、修煉者に同修への善をなくさせます。嫉妬心をなくさねばすべてが脆弱になり正果が得られません。一方、他人のため、無私心の基点からこの恐怖心と嫉妬心をなくそうと思ったら容易になるでしょうか、きっと容易です。なぜならばそれは新宇宙の理であり、天意に順応しているものは容易だと決まっています。

 実はすべての良くない心の根源は「私心」にあります。大法弟子として十分な勇気を出して自分の物ではないその「私心」をなくさねばなりません。大法弟子の行うすべては人のためならば、旧勢力に迫害する口実がまだありますか、迫害する勇気がありますか、隔てることができますか。皆が他人のためになれば大法弟子の全体は脈もなくツボもない一体となることができます。宇宙中の正の力がきっと大きくなり、救われる衆生もどんどん多くなり、師父の正法の進展も早くなります。さらに多くの「我」を放下すれば、さらに「他」が多くなります。真に衆生のために責任を持って行えば、真に「無私無我」の境地の幸福感が湧いてきます。「無私心」の生命こそ佛恩の洪大な内包を体験することができます。

 少しの悟りであり、同修のご指摘をお願いします。合掌

 2010年2月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/1/31/217271.html

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