精進し着実に修煉
(明慧日本) 私は河北省の農村に住んでいます。1998年3月16日、ある同修を通じて幸運にも法輪大法の修煉者になりました。私は自分が経験したことを師父にご報告いたします。そして同修の皆さんと交流したいと思います。
修煉を始める前後
修煉のきっかけは病気を治したいという気持ちで、試しに始めたのです。20年もいろんな病気で苦しんだ上、マージャンに夢中になり、家事をすることも忘れてしまって、逆に家族を怒ったりしました。私はとても悪かったのです。
煉功初日、家に帰り、その日の夜、初めて20年ぶりにぐっすり眠ることができました。「本当に私を救ってくださる師父が見つかりました! 私はこの道に決めました!」 私は心の底から叫びました。私は全ての薬を捨て、マージャンもやめ、大法書籍を揃えました。私は小学校で1年半ぐらいしか勉強しなかったため、本を読むのは大変難しく、師父はこんな私に知恵を授けて下さり、次第に読めるようになり、法理もますます分かるようになりました。そして身体も驚くほど元気になりました。私は師父を信じ、大法を信じる意志がますます固くなりました。その後、同修に推薦され補導員になりました。
法を信じ、師父を信じ、正念で神威が現れる
「7.20」後、私は同修たちと連絡をとり、一人一人に師父の経文を渡し、そして、明日から誰の所へ届いていないか、私に報告するように教えました。私達がしていることは間違っていません。その日、私が働いていると、村の放送で私たちを呼んでいましたが、「呼ばれる必要はなく、今日は誰も行かない」と決心しました。しばらくすると、停電で放送は中止になりました。
ある同修は迫害され、2階から飛び降りた時、負傷して動けなくなりました。私が見舞いに行った時、彼女の姑は「神経が傷つき、もう永遠に立つことができないでしょう」と心配そうに言いました。「大丈夫ですよ。彼女は大法の修煉者だから、絶対によくなります。師父が見守って下っているから!」 私は彼女に「師父を信じ、大法を信じ、そして自分が修煉者であることを忘れないで」と励ましました。彼女の夫はそれを聞いて、私を指さしながら、「出で行け! それを聞いただけでうんざりする。もう来ないでくれ」と言いました。私は「あなたの気持ちはよく分かります。でも私たちは真・善・忍に従って行動しています。それのどこが間違っているのですか? 私たちは同修だから、お互いに離れません。神経が傷ついたと言っても、修煉者にとってはなんでもありません! だからあなたも失望しないで、彼女に優しくしてあげてくださいね。今は10月です。お正月前に、彼女を絶対に立たせます」と言いました。
帰宅途中、私はどうしてお正月前に彼女を立たせると言ったのか、考えて見ると、実はそれは師父が私の口を通じて教えてくださったのだと思いました。私たちはただこのような願望があるだけで、師父はそれを実現してくださいます。1カ月あまりで、彼女はもう手で椅子を支えにして歩けるようになり、2カ月あまり、つまりお正月前に完全に回復して、家事もできるようになりました。彼女の家族はこんな奇跡を目のあたりにしました。彼女はまた、大法の真実を伝えることができました。
師の法を正すのを助け、真相を伝え、衆生を救い済度する
2008年1月、ある同修から「村の書記の家で印刷したカレンダーに共産党の首魁の写真が写されている。それを各村の党員に配っている」と聞きました。現在、世界中で共産党から脱退しています。これは天意であり、共産党の解体は歴史の必然です。天意に逆らう行為は、知らないうちに衆生を害し、罪を犯しているのです。善いことをすると善い報いがあり、悪いことをすると悪い報いがあります。私はこの話を彼に言いたかったのですが、人が多くでチャンスがありませんでした。そこで、真相資料と三退のホームページのURLを手紙と一緒に封筒に入れて送りました。お正月が過ぎたばかりのころ、村の書記の両親がガス中毒で相次ぎ死亡しました。まだ年もそんなにいっていないのに、一つの大が悲しい年を迎えることになりました。
オリンピック開催の何カ月か前、村の幹部たちが突然家にやって来て、私は身分証とそれに1千元の保証金を取られました。私は彼らに真相を伝えたため、頑固だと見られ、他の2人の同修と共に重要人物と定められました。オリンピック開催の日、家に帰ることも許されず、お弁当が届くように手配されました。それに対して私は「自分で作った御飯でなければ食べません。家事もあるし、孫の子守もしなければ。私はこんな所にいる時間はありません」と言いながら歩いて帰ろうとしました。彼らは「監視塔から見に来たらどうする? 書記が探しに行くから、早く戻って来い」と言いました。 私は振り返ろうともしませんでした 私は歩きながら発正念し、師父の加持を求めて、旧勢力を徹底的に否定しました。庭に車が2台あり、部屋には人が大勢いました。部屋に入った途端、党の書記はすぐ私に「まだ修煉しているのか?」と聞き、私は笑いながら「こんな場面に会ったことないから、どう答えていいのか分かりません」と言いました。「分からなかったら、奥の部屋で黙っているように」と村の幹部は言い、その後、質問に対し、私の代わりに、村の人が答えてくれました.
彼らが帰った後、村の人々は「さっきは危なかったね。もう煉功はしないと言えば終わったのに、もし連れて行かれたらどうするの?」と心配そうに聞き、私は答えました。「怖いことは何もありません。私は悪意も恨みもありません。我々を守ってくださったあなたたちはよい未来を選択されました。必ず福報を得るでしょう。心配してくださった全ての人々に美しい未来があります」この話を聞いて、皆微笑みました。
家に帰る途中、同修は「さっきは部屋の中が混雑していたでしょう。修煉をやめると言わなくてほっとしたけど、危なかったわね」と言いました。私は笑って「私は、それは法に合わないと思う。師父はいつでも傍にいらっしゃるじゃないの? 私が本当にやめると言いたくないのを知りながら、邪悪に連れて行かれるのを師父は見て見ぬ振りをされますか? 師父は立派な話だけでなく、私たちの心を見ておられます」
私たちにも多くの不足があります。特に畑の仕事が忙しくなると、4回の正時の発正念もきちんとできず、ちょっと油断すれば朝の煉功にも間に合わず、法を学ぶ時間も少なく、三つのこともしっかりとできません。さらに今は集団学法もできない状況です。私は難関を越える時、師父の法を思い出せますが、書こうとするとどこで講法されたのか分からなくなり、師父の講法をあまり引用しないのが最大の欠点です。後で考えると、修煉して12、3年になっても、なぜ師父に報告することができなかったのでしょうか? 文章を書く過程は自分の執着心をなくし、自分をきれいにする過程でもあります。師父が私たちのために延長してくださった時間を有効に利用し、法を多く学び、三つのことをしっかりと行います。
知識も少なく、認識も限られているため、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
2010年2月2日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/26/215027.html)
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