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衆生済度は世人の保護を求めることではない

(明慧日本)正法の進展につれて、大法弟子は各自の環境の中で修煉に精進し、真相を伝えたため、多くの世人は真相を理解しました。中には一部の警察官や法曹界の人も真相が分かり、良い地区の形勢は「7.20」の当初と比べて大分変わりました。

 真相を知る警察官や法曹界の人は正義を重んじて、いろいろの方法で大法弟子を保護しています。これは正法の進展の末期に世人が目覚めた現象です。しかし、一部の大法弟子ひいては精進している大法弟子も、この現象に対して必要のない歓喜心が起こり、安全の意識を緩め、正義の常人に依頼する心が芽生えたため、旧勢力に隙に乗じられて、もともと避けられる損をしてしまい、逆に真相を知った常人にも戸惑いを感じさせました。これは大法弟子の法理に対する正しい理解と修煉の不足が原因ではないかと思います。

 歓喜心は修煉者にとって無くさねばならない心です。正法の中で如何によいことをしても、この心が生じてはならず、正法の要求に達しなければなりません。一部の事がよく出来たとしても、それは自分の心が法に要求された次元に達しただけで、真に作用したのは大法の力です。修煉者にとって歓喜することではありません。

 安全の意識を緩めるのは、真相を分かった正義の人士への依頼心が芽生え、彼らが真相を分かって大法弟子を迫害することはもうしない、大法弟子を保護するべきだと思い込んだ為です。これは私たちが無くさなければならない心であり、常人に依頼する心ですので、旧勢力が私たちのこの心を無くすと言う口実で、正義の人々を困らせ、甚だしきに至っては彼らを悪くさせて大法弟子を迫害させることにもなります。

 正法の進展の中で、私たちは自分を修め、衆生を救い済度しています。世人を救い済度するために常人の保護を求めてはなりません。この点について、『精進要旨』の中の「学法」で師父が説かれたように、「求めずともおのずと得られる」になればよいと思います。

 現段階で、中国大陸で如何に環境が変わっても、安全の意識を緩めることは理性のないことです。各地の協調人や資料点の同修大法弟子に十分注意して欲しいのです。

 個人的な悟りですので、ご指摘をして下さい。

  2010年2月4日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/3/217455.html

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