■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/04/mh065652.html 



一粒子の役割を果たし、全体を円融する

文/スウェーデンの大法弟子

(明慧日本)法を正す進展につれて、私たちの修煉もますます成熟してきました。1つ大法粒子としては全体の中の役割が全局面に影響を与えることができると思います。私たちの個人の修煉状態、また個人の空間場の状態が直接的に全体に影響を与えます。またこれらのすべては私たちの学法と煉功の状態に関係しています。学法と煉功がよくできることはすべてがよくできる根本です。

 一、正念

 私は昔カメラの使い方さえも知らないので、新唐人テレビの業務にかかわることが私にとって不可能でしたが、スウェーデン新唐人テレビの人手が足りないため、同修の勧めにより私は参加しました。新唐人に入ると、このマスコミは全体の協調を強く重視していることが分かりました。これは私にとってむずかしいことです。しばらくして私は協調があまりできないと感じ、やめました。

 同修たちは再三私を引き留め、続けるようと励ましてくれました。法の勉強をしばらくして、私は法を正す時期のマスコミの役割が分かるようになりました。中共は24時間マスコミを通して法輪功を攻撃しています。私たちはマスコミを通して全世界に真相を伝えなければなりません。私は法を正す時期の大法弟子の責任を感じ、残ることにしました。

 私はパソコンができなくて、ビデオカメラも使ったことがないため、ゼロからスタートし、技術が分かる同修から教えていただきました。ある日、同修が私に「中国から輸入してきたタオルが有毒なもので、これを新聞として報道したいですが、あなたはできますか?」と聞きました。私はビデオカメラがないし、1人で撮影したことがなかったから不安を感じましたが、このニュースの報道の必要性を考え、すぐ自転車に乗って同修の家に行き、ビデオカメラを借りてきました。撮影が終わると、全身に汗が流れていたことに気がつきました。初めて撮影した映像を見て、音声と画像がよかったです。これは正念があったから、師父は助けてくださったと思います。

 初めのころ、同修が遅れてくることに私はとても怒りを感じ、ときに怒ってしまい、怒った後、すぐ後悔しました。この怒りという執着は私の修煉の中に大きな妨害となり、協調の中に1つの大きな障害物となりました。私はときに「合わない、やらない」と思い、そのとき、頭の中に「あなたはやらないことに対して誰が喜ぶのでしょうか?魔が喜ぶのではありませんか」という声が現れて覚めました。私はこの執着が魔性なもので、修めなければならないと考えました。

 私は怒らないことから始め、その過程がたいへん辛くて、ときに抑えすぎて自分が耐えられないと感じました。師父の啓示の下で、私は学法の中で向上し、自分の怒りが魔性であり、私心であることに気づき、落ち着いて同修と交流しようと思いました。

 今は私たちの全体の協調意識が強く、出発の前にお互いに注意しあい、法の上でよく向上ができ、ニュースの報道が安定するようになり、1つのよいチームになりました。私も同修の指導の下で、撮影と編集ができるようになりました。

 二、責任

 法を正す時期の大法弟子としては重大な責任を常に思い、1つの言葉、1つの行動は衆生の救い済度ができるか否かに繋がっています。私たちは常人の中に家庭、仕事、子供、友達がいりますが、何を選ぶのかとても重要です。念を正しくなければ、邪悪に隙間を乗じられます。

 ニュースの報道は撮影と取材から制作まで時間がかかり、出かけると一日外にいたり、家に帰ってくると、疲れや空腹を強く感じたり、ときには家族の文句に耐えて聞かなければいけません。家族が文句があったとき、私は家族に説明し、この1日に何をやったか話しました。家族は皆まじめに聞いた後、「あなたたちはこの国の首相、大臣に取材ができるのですから、すばらしいと思います」と言いました。

 ときには、皆は報道を企画しているとき、私は「家族と一緒にいたい、友達に会いたい、友達に真相を伝えることも重要だから、明日神韻の協調会があるから・・・」と考えがちですが。実際、自分は私心があってマスコミの担当が大変苦労していると思っているのです。修煉は非常厳重なことですから、1日の終わりに自分の一念の中に「常人のものがどれぐらいありましたか?神の状態がどれぐらいありましたか?」と振りかえってみるようにしています。

 私以前は自分の虚栄心が強くないから、人は私をどんなに見ているかということに気にしない人だと思いました。マスコミの活動以来、私は虚栄心という執着が実際まだ強いことが分かりました。北欧の人々は背が高くて、ビデオ撮影をやる人はほとんど全員男性です。毎回、マスコミの撮影陣の中に私だけは背が高くない女性でした。ときによい映像を取るために彼たちよりも早く、よい場所を取ろうとし、特に苦しいと感じました。私は法をさらによく勉強し、自分は法を正す時期の大法弟子ですから、師に従って法を実証する責任を持っており、常人は私をどんなに見るか重要ではないと考えました。この虚栄心を絶対に取り除き、他のマスコミの人々に真相を伝え、自分のやるべきことをよくやることを決心しました。

 スウェーデンはEUの主催国を担当している間に、報道するニュースが多くなりました。27国外務大臣の会議が行われるとき、スウェーデンに来た各国のマスコミが非常に多かったです。私は今回の撮影陣の中に他の女性がいるでしょうと思いながら、現場に着きました。結局、また私だけが女性でした。周りの男性たちは「ほら、見て、この人は本当にカメラウーマンだね」とうわさをしました。私は彼たちに笑顔をしながら、「あなたたちの言った通りです。新唐人テレビは世界の一流マスコミですから」という1つ正念を発して、彼たちは瞬間に静まり返えて、何か考えているようになりました。修煉者の正念はこんなに重要であることを強く感じました。

 今、私たちの新唐人テレビはスウェーデンのマスコミ業界に入り、政府と多くの大臣の皆さんは私たちを知り、私たちに会うと「新唐人」と呼びました。私たちもスウェーデンの多くのマスコミ業界と知り合って、付き合う中で彼たちも真相を分かるようになりました。このように、私たちは徐々に他のマスコミ業界と付き合えるようになりました。

 私は引き続いて1つ粒子の役割を果たし、師父の期待に背いてはならなく、やるべくことをよくできるようにします。

 皆様、ありがとうございます。

 (2009年ヨーロッパ法会にて発表)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/1/16/216384.html

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