■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/05/mh065579.html 



十数種の病気が治った年配の法輪功修煉者が受けた迫害

(明慧日本)1999年4.25以降、中国西北部に位置する寧夏自治区在住の年配の法輪功修煉者・張桂芳さんは、中国共産党に4回連行され、家財を数回没収された。そして、息子2人と息子の妻、妹も迫害を受けた。長男の妻も数回連行されたことがあり、妊娠7カ月の時、警官・万挙才をはじめとする派出所、住民委員会により東門計画生育病院で強制的に胎児を堕胎させられた。長男は元銀川公安局巡察隊に勤めていたが、法輪功を修煉したことで給料の支給を停止され、強制的に解雇された。その後に探した2カ所の仕事も途中で断わられ、半年間、精神異常になった。次男もかつて連行されたことがある。警官、住民委員会、街道事務所、勤め先の警備などから絶えず嫌がらせを受けた結果、夫はたえられず、2006年に53歳で死亡した。

  以下は、張桂芳さんが口述した法輪功の修煉体験と中国共産党により受けた迫害事実。

  法輪功修煉により心身が健康になり、道徳が向上した

  私は張桂芳と言います。元銀川ビール会社の従業員で、1996年から法輪功の修煉を始めました。法輪功に出会う前は、メニエール病、神経症、気管支拡張症、気管支炎、萎縮性胃炎、胆嚢炎、坐骨神経痛など十数種類の疾病に罹っていました。大椎骨質増殖により神経が圧迫されて、両手が麻痺し毎晩けいれんが起きました。私は常に病気のため、高額の治療費を会社で精算することで人に軽視され、それに字も読めず、卑屈になっていました。

  40歳になってからもう人生は無意味だと感じていました。1996年10月、偶然に法輪功を習い、毎日煉功場に行って煉功しました。息子2人、妹、ほかの法輪功修煉者たちは何時も私に『転法輪』の読み方を一字一字丁寧に教えてくれました。数カ月後、私は自分で読めるようになり、その後に書けるようになりました。師父への感謝の気持ちは言葉で表現できません。

 私は、初めて師父の説法テープを聴いた時、理由も分からず泣きました。第3講まで聴くと、体が痛くなり始めました。会社の勤務時間には痛くないのですが、退勤した後に咳が出たり、高熱が出たり、頭痛がしました。師父が体を調整しておられる過程だと他の修煉者が教えてくれたので私は安心しました。それからしばらくして、本当に症状が消えて、その後、数回繰り返したこともありましたが、全身の病気はすっかり治りました。『転法輪』を勉強してからは、煉功者は良い人にならなければならないことを知り、不快なことがある時は忍耐し、過ちは直して、家庭が睦まじくなりました。その時から私はこれまでで一番幸せになった気分でした。病気も治り、治療費もかからなくなり、そのお金を他の人のために使いたくなりました。そこで1997年に2回に分けて、ある老人ホームに寄付として3千元送り、1998年には小学校に寄付として3千元を送りました。その学校は新聞に載せ、私に感謝を表しました。

  北京に行って真実を説明したことで拘束され、お金をゆすり取られる

 1999年7.20以降、法輪功は濡れ衣を着せられました。2003年3月、私は天安門に行った時、天安門派出所に拘束されて、数日後に寧夏自治区駐北京事務所に移送され、他の修煉者と合計900元をゆすり取られました。その後、他の法輪功修煉者と一緒に寧夏自治区の銀川市新城公安分局に移送されました。私は当日釈放されましたが、他の修煉者は留置場に残されて監禁されたり、労働教養所に送り込まれたりしました。

 自宅に戻った後、また勤務先の警備科の曹康楠に600元を強要されました。その後、銀川市新城鉄東派出所の万挙才、利東国、戴春華、孫来寧と住民委員会の馬麗ビン、街道事務室の蘇小軍らにより数回家財を没収され、嫌がらせをうけました。万挙才はいつも夫の勤め先に行って、夫に私を説得するように強要しました。そこで夫は旧正月前後など、いわゆる敏感な日には私に出かけないように頼みました。

  中国共産党の手先が自宅に押し入り、洗脳班に送り込む

 2004年、銀川市の610弁公室は洗脳班を設立しました。住民委員会の主任・馬麗ビンが私を洗脳班に送ろうとしましたが、私は拒否しました。その後、万挙才が夫の勤務先に行って夫に、一緒に帰宅するように強要しました。一緒に来たのは鉄東派出所、新城政保大隊、住民委員会の人で、私の家を捜査し、法輪功の書籍『洪吟二』を没収しました。私は「法輪功は素晴らしい」と大声で叫び、そのまま強制的に洗脳班に送り込まれました。

  洗脳班で、法輪功修煉者には1人毎に監視者1人が付けられて監視され、法輪功を中傷する本を読ませたり、中国共産党を賛美する映画を放映したりしていました。私はいつも監視者に法輪功の真相を説明しました。2007年、私と息子は人に告発されて新城東街派出所に一晩監禁され、翌日には銀川市金鳳区公安分局に移送されました。同時に、家財を没収され、法輪功の資料、電子ブック、MP3とコピー機を略奪されました。家族は絶えず関連部門に行って私を釈放するように要求しましたが、私は銀川留置場に10日間監禁されました。その期間中、警官は受刑者に指示して私を殴打し、罵倒しました。

  オリンピック期間中、監視され4回拘束される

  2008年7月1日、オリンピックの聖火リレーが銀川を経由することになりました。6月30日の午後、数人がマンションの入り口で私を監視し、私が出かけると尾行しました。2009年3月、私は真相を知らない学生に告発されて銀川の警官により鉄東派出所に拘禁されました。告発した学生2人は奨励金を受け取りに行き「法輪功修煉者1人を告発すると5千元もらえると聞いた」と言うと、派出所の警官に「お前たちには金を渡すことはできない」と言われたそうです。

  その後、私は金鳳区公安分局に移送されて、手錠でスチーム管に繋がれ、また見張り1人に監視されました。私はその人に法輪功が迫害されている真相を説明しました。十数年来、私の家族は中国共産党に迫害されて夫は死亡、家族はバラバラになりました。私は、中国共産党に強要されて、法輪功修煉者としての行為に符合しない私と家族の言行について、全部無効であることを厳粛に声明するとともに、精進して合格する法輪功修煉者になることを誓います。

  2010年2月5日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/3/217496.html

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