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トラブルが現れたら、内に向かって探す(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1996年9月6日に法輪功の修煉を始めました。修煉する前、私は心臓病、めまい、半身不随などさまざまな病気を患っていました。心臓病だけでも12年間患い、階段を上ることすらできず、毎日死に神と隣り合わせで生活していました。病気に苦しんでいる私はどうすることもできず、運命の残酷さに嘆く毎日でした。修煉してから、短期間で全身の病気が一気に治って家事もできるようになりました。

 10数年来、ずっと師父の洪大な慈悲の中にいると感じています。同時に法を学んで自分を修めていくうち、心性を向上させて得た喜びも、執着を取り除く過程で心臓が刺されるような苦しみも味わいました。難儀がこれからまた出てくるかもしれませんが、師父はいつもいろいろな形で私に注意され、保護してくださっています。

 私の家族は6人で、上には姑がおり、下には5歳の孫息子がいます。夫と息子2人は共に警官で、4世代家族です。10数年の修煉の中で、この家庭からさまざまな難が生まれました。それは、私にとって生死の関門といえるようなものばかりです。今から、自分が家庭の関門をいかに突破して修煉を堅持してきたかを書き出して、同修と交流したいと思います。

 私は法輪功の修煉をしたため、最初は夫からよく暴力を受け、続いて嫁からも大声で罵られ、後に息子も私に手を上げました。この3人は中共の宣伝により、ひどく毒害された人間で、他人の言葉に全く耳を貸さないタイプでした。それでも、私は師父のご加護の下で徐々に修煉の意味が分かり、執着心を取り除くことが出来ました。例えば、闘争心、嫉妬心、顕示心を取り除き、名・利・情も軽く見ることができました。心性もある程度向上できました。

 皆さんご承知の通り、良い家庭関係を保つのが一番難しいのは、嫁と姑の関係です。嫁であり姑でもある私は、家庭内の些細で様々なトラブルの中から、師父は偉大な慈悲と大法の威力で私を根本から解脱させてくださいました。姑との関係は法を学ぶことを通して、人生の目標を変え、修煉者の基準を自分に要求してきました。若い頃姑に叩かれた恨みに拘らず、主人の兄弟の多さも気にしませんでした。

 師父は『転法輪』の中でこのように述べられました。「もちろん、われわれは常人の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」この段落の法を学ぶとき、依頼心を取り除きました。

 夫と二男の2人が順番に姑を養う決まりがあります。修煉した私は、他の兄弟5人に頼らずに私達一家で養おうと夫に切り出しました。1996年から私の家で生活するようになった姑に、いつも自分の母のように接しました。病気に罹ったら治療代を惜しまずに治療を受けさせ、精神的な面においても心遣いをしました。耳掃除や脚の爪切りまでしてあげ、毎月小遣いも渡してあげました。隣近所が「あなた達のお母さんは幸せですね」と言いました。姑も私に感謝して、どこに行っても嫁が親孝行をしてくれて、2人の関係は非常によいと話しました。

  ただ、姑は顕示心が強く、ときには家でこれもできる、あれもできると言い張るので、夫が不満を覚えるときもあったのです。初めは気にも留めなかったのですが、後に『転法輪』の中の「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません」を読むと、何故このような現象が現れたのかを考え始めました。自分の内を探してみると、自分も同じものを持っているではありませんか。何か良いことがあると、口では言いふらしてはいけないと言いながら、直接には言わないのですが、別の角度から顕示していました。顕示心を見つけると、すぐ取り除きました。

 (続く)

 2010年2月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/7/217706.html

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