■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/09/mh115094.html 



家庭資料点を作る中で成熟する

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は70歳をすぎた大法弟子です。文章をうまく書けませんが、自分自身の資料点を作る体験を話して、交流したいと思います。

 2005年9月までは、我が地区ではいろいろ資料が揃っていましたが、その後資料点が破壊されて資料が足りなくなりました。この状態は3カ月も続きました。 私は責任を感じて家庭資料点を作ろうと思いました。当時私は金がないため、息子、娘と妹(同修)と相談して、4人が金を出し合って機械を購入しました。

  場所を探す時に、娘婿が私の煉功に反対したため、私は引っ越さなければならなくなり、資料点の問題も自然に解決しました。同修が来て、パソコンの操作を教えてくれました。娘が先に勉強して、インターネットアクセス、ダウンロード、プリントアウトなどをマスターしました。

 資料点がスタートして、最初は『明慧週刊』、『週報』の小冊子などを作って、10数人の同修の需要を満たしました。技術を持つ同修は定期的に来て、トナーの交換やプリンターの維持などを教えてくれました。半年後、こちらの資料点は成熟して、技術を教える同修の資料供給部分を全部分担しました。

  それからペーパーカッター、インクジェットプリンターとレザープリンターを買ったので、大法の書籍と『九評』、真相DVD、真相シール、書籍の表紙などを作れるようになりました。さらに金入りや飾りなどの方法を学んだので、資料作りのクオリティがますますよくなりました。

 その後、息子も参加しました。各自が分担して、息子がパソコンに詳しいため維持することや、真相DVD、明慧ネットに同修の文章をアップロードして,娘が『明慧週刊』、週報小冊子のダウンロード、そして編集制作、三退の声明と厳正声明などの発表をします。私は毎週40冊の『九評』、200冊の真相小冊子、500部の『明慧週刊』週報などを制作して、同修の大法書籍も作りました。 私たちは学法、発正念、煉功、食事のほかは、ほぼ資料制作に時間を使いました。

 2008年の北京オリンピックの前、地区で数人の大法弟子が連行されて、資料点が破壊され、大きな資料点もストップしました(その同修が怖がった為)。こうして私の負担は一度に重くなりました。学法、煉功の時間も足りず、数日学法しないこともありました。よく学法することを師父は要求されました。学法をしなければ法に溶け込むことができないのです。

  しばらくの間私はとても疲れて、協調人の同修に相談しました。学法が確保できなければ邪悪に隙に乗じられやすいのです。技術を教える同修も時間が足りないため学法が出来ず、邪悪に隙に乗じられましたので、協調人も認識して、なんとかして私の負担を軽減するようにしました。

 資料の制作は心性の向上の過程でもあります。時には余り資料の要求が多すぎて、疲れた時に恨みの心も生じました。同修が資料点の困難を無視して、資料に対して指摘すると愚痴をこぼしたこともあります。

  時には歓喜心がおこり、やることに満足の心が芽生え、自分が衆生を済度しているので、現状維持でも十分と思い込みましたが、このすべては無くさねばならない心と分かりました。学法は第一で、如何に忙しくても学法を軽視してはならず、よく学法をすれば、心性も向上して、同修への怨恨心もなくなりました。

 資料を作るときに、私は経験を生かして丁寧に作ることを念頭に置きました。大法書籍と『九評』を見る同修は、これは出版社の正規の書籍と変わらないと褒めています。3年半の間、資料点の真相資料を毎週同修の家に届けましたが、師父のご加護のもとで平穏に続いています。正法は最後になりましたが、衆生を救い済度する責任を緩めてはなりません。

  時には疲れを感じますが、これは宇宙でもっとも正しいことなのだと思っています。

  2010年2月9日

(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2010/2/3/217486.html

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