■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/09/mh115369.html 



精進の意志を弱めてはならない

文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、一部の同修は圧力と困難の前で修煉の意志を弱める現象が目立ちます。一人ひとりの大法弟子が師の正法を手伝うのは、様々な困難に直面しているはずです。各自の修煉の道が違い、執着心が異なっているだけで、修煉は容易なことではありません。

 一部の同修は常人社会の名利や、家庭の幸せなどを重んじて、それに向かって奮闘しています。「これは最大限に常人状態に符合している」、「自分をしっかりと把握出来る」と口にしていますが、結果的にほとんどの修煉者はその中におぼれてしまいました。特に最近、大法を学んだばかりの新しい学習者は、旧勢力の按排に左右されたかのように、常人の目標を達成しようと、常人を選んで結婚しています。その中には精進していた新しい学習者もおり、家庭に縛り付けられ、その状態から抜け出すことができず、最終的に修煉を諦めてしまいました。非常に残念です。

 法が人間社会を正す時に、このような人たちがまだ修煉できるかどうかは分かりませんが、ずっと六道輪廻の中で生きなければならないでしょう。自分が何のために三界に来たか、何のために生きているかをすでにわかっているならば、なぜ、この機縁を大事にしないのでしょうか。常人の中の利益や、男女の情、色欲などが本当に生命の意義より大事なのでしょうか? 私たちは常人の中でこれらを享受するために来たわけではありません。私たちは宇宙の衆生の為に生きているので、どちらが重要かをよく考えて欲しいのです。

 正法の時間は限りがあると師父は幾度となく説かれましたが、一部の同修は自分の将来が見えないため、意気消沈しています。実はこのような同修は師父の洪大な慈悲を感じておらず、人を救い済度するため、師父が時間を伸ばしてくださったことを知らないのです。迷いの中にいるからこそ世人を済度することが出来、衆生が自分で態度を示してこそ、はじめて残されるかどうか判断できます。謎をなくし、真相を見せながら人に自分の将来を選択させることはできません。全部があきらかになるときは、もうすべては終わりになり、衆生が選択をする機会はなくなります。

 師父が急いでおられるのに、私たちはなぜ焦らないのでしょうか。20〜30人の同修がいる県もあれば、数人しかいない県もあります。しかし、各県の人口は数10万人にものぼり、その上、地理や環境や色々な条件に影響されて、たくさんの人々が大法の真相を知りません。かれらの頭の中には中共のでっち上げの嘘が詰まっています。

 もし、このような人に機会を与えなければ、不公平ではありませんか。この人たちも私達と同様に高次元の宇宙天体から下りてきた王であり、自分の世界の衆生を済度するため、無数の苦を嘗めて長い歳月を経てやっと人間になりました。そして、今日の救い済度されることを待っています(悪事を尽くして済度できない人もいる)。責任を持っている大法弟子は最後のこの機会を利用して真相を伝え、自分の将来を選択させなければ、一旦正法が終わってしまえば、責任だけの問題ではなく無数の生命がなくなります。

 魔難に陥っている同修は「いつ迫害が終わるのでしょうか」とよく口にしますが、大法弟子は「迫害」と「迫害の終わり」を認めません。私達は師父の正法と、衆生済度の終わりを認めます。邪悪な旧勢力は正法を妨害し、多くの衆生の命を危険にさらしました。大法弟子がしなければならないのは、衆生を済度して邪悪を一掃することだけなのです。

 歴史上に類がなく、今後も永遠に二度とないこの偉大な正法の時期に、私たちはしっかりとやらなければなりません。師父と交わした誓約の内容は分かりませんが、少なくとも師父の慈悲なる済度を裏切らず、危険に瀕している世人を済度することを忘れてはなりません。

 2010年2月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/1/31/217275.html

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