常人の行為に、人を救う心が動揺されないように
文/中国の大法弟子
(明慧日本)この2カ月、私達の地区で3人の大法弟子が真相資料を配ったため、密告されて強制連行されました。交流の時、配った資料が多すぎて、常人は見ないでかえって悪意に告発したり、あるいはごみ箱に捨てたりするのなら、配るべきではないという同修がいました。
真相を伝える大法弟子は、常人がいかに対応するかに関わらず、私達は人を救う正念を放棄することなく、常人の行為によって自分の信念を変えることはできません。人は皆、自分で未来を選ばなければならず、人は皆、自分で未来を選ぶ機会がなければなりません。私達は悪意で告発し、大法の資料を破る人を哀れと思い、彼らにもう一度選ぶ機会があることを望みます。
彼らを責める心があってはならず、彼らは皆かわいそうな衆生で、皆私達が救うべき対象なのです。彼らはすべて法のために来ています。私達大法弟子はどうしてこれらの大法のために来た生命を見捨てることができるでしょうか? 彼らがこの世に下りる時の悲壮さを考えてみてください、彼らが法のために受けた無数の苦しみを考えてみてください。彼らの世界の衆生たちの望みを考えてみてください。先に法を得た私達が、彼らを見捨ててよいでしょうか? 一縷の希望がある限り、私達は彼らを見捨てることはできません。師父が私達を救い済度されるときも、こうではありませんでしたか? 毎回の教え、一回また一回の諭しで、少しずつ悟りを開いてくださいました。
いかなる理由であっても同修達が人を救う信念をおろそかにせず、意気消沈することのないように望みます。なぜならば、このすべては私達の責任であり、億万年前の私達の誓約だからです。
個人の悟りなので、適当でないところは同修のご叱正をお願いします。
2010年2月10日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/10/217889.html)
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