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根本的な執着を取り除く


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は文学、音楽、美学の分野にとても興味があり、宗教の書物も広く読みあさり、生命の価値、人生の奥義に対しても自分なりの悟りがありました。だんだんと、「人生の真諦を求めて身を謹む」という自分独自の価値観ができて、現実の中でそれを真理のように守ってきました。

 かつて多くの有名人の伝記を読んだことがあります。古今東西の文学者、音楽家、画家の作品に描かれたた完璧な美の世界にとても憧れ、高尚で耽美な貴族精神を求めて、醜いものを拒みました。物欲が溢れる現実の中で、私の心は依然としてお伽の世界に生きているようでした。孤独で苦しく、茫然とした絶望の中で、法輪大法は「自らの人としての道理に符合している」(『圓満成就に向かって』)と思い、自分の悲観的で世を隠遁する心理を満たし「人類の仁愛」の理想を実現させるものだと思って、私は法輪大法の修煉に踏み出したのです。

 この根本的な執着はとても気づきにくく、旧勢力もそれを掴んで、私を妨害する口実にしたのです。私は大きな苦難に見舞われ、この執着は頑丈な縄のようにしっかりと私を縛りました。

 常人の中で、私はきわめて真面目な人間です。子供のころから、遊ぶ時、他の子供がルールに違反した時、いつもうまく言い逃れる行為を納得できませんでした。私はもし負けたなら、たとえ相手は気がつかなくて自ら認めます。トランプをする時、中国では人の手札を盗み見ることは当然のことですが、私は絶対に人の手札も見るようなことはせず、盗み見を防止する意識もないので、よく「あなたの手札は見られていますよ」と注意されます。ルールを守らずに勝っても本当の勝利とは言えず、人と自分自身を騙す行為だと、私は思うのです。

 大きくなってから、良い人になる原則を謹んで守り、自分が損をしても決してずるいことをせず、人を傷つけませんでした。仕事をきちんと真面目にして、他人を尊重して弱者に同情します。うそをつく人、嫉妬する人、ずるい人は大嫌いです。是と非、善と悪、愛と恨み、美しいものと醜いものを客観的かつ公正にさせたくて、真理と正義のために命を捨てる義侠心も持っています。

 しかし、このような性格を修煉の中に持ち込んだら、「大法弟子は常人の中の良い人より良くなるべき」 「大法弟子は必ず大法の法理と原則を守るべき」という観念が生じます。このような観念は一見とても正しいのですが、利己的な要素、及び「悪をもって悪を制する」という極端な発想を含んでいることは、とても気づきにくいのです。

 同修と接触する中で、同修の取り除いていない人心が私を「傷つけた」時、私の根本的な利益—観念に突き当たります。私は怒ったり、つらい思いをしたり、不公平に思ったりして、この高尚な団体の中で、どうしてこのような「良くない人」がまだいるのか、どうしてこの人はこんなにレベルが低いのか、と思ってしまいます。この観念のせいで、私と同修は対立し、協力できなくなり、「傷ついた」と思う私は全体から遠く離れて、修煉を続けるか放棄するかまで考えてしまいます。

 昨日の出来事を私はまだ怒っています。ここ1年、私はある同修とずっと一緒に学法しています。しかし、彼女は時間を守らなかったり、来なかったりします。私は同修と一緒に集団学法できないことに困り、彼女に何回か軽く優しく注意しただけです。しかし、彼女には反省の色は見えません。一昨日、私は彼女に繰り返し「明日の午前、必ず来てくださいね」と言うと、彼女も「絶対行きます」と約束しました。しかし、昨日の午前中ずっと待っても彼女は来ませんでした。急いで彼女に確認してもらいたい資料もあったので、私はとても焦って怒り始めました。では、どうして穏やかな心を失ったかを、私は内に向けて探してみました。

 一、彼女が長期にわたり学法に来ないことで、(2人の)集団学法ができなくなって、私1人で法を勉強することは効果があまり良くなく、早く次元を高めたい私の「計画」が影響された。

  二、何度も彼女に注意しても彼女は反省しない。つまり私の意見を真剣に受け止めていない、これで私のプライドが傷ついた。

  三、待つことで私の貴重な時間が無駄になった。

  四、私の「物事をしっかり、きちんと努める」観念が彼女の行為を許せない。

 これらを探し当てた後に内心はだいぶ穏やかになりました。午後、彼女が来た時、彼女の顔を見た瞬間私の怒りは抑え切れず、「あなた、やっと来たね」の一言を投げました。そして「午前中、あなたを怒りながら自分の執着を探してみました」と言った途端に、彼女は横暴な態度で、「怒るのはあなたの勝手だ! こうしてあなたを成長させないといけません!」と言い返しました。私はさらに怒って、「自分が間違っているのに、反省の色がないどころか、こんなに生意気な態度なんて、本当に駄目な人だ」と思いました。

  夜、学習者が書いた体験談・「絡みつくものと恨みを解体する」を読んで、感無量でした。夜中に発正念をして自分の「恨む心」を解体しましたが、どうして「恨む心」が長い間取り除かれないかを考えました。

  私は熟読した文学者、芸術家の書籍は常人の中で、本当にレベルが高いものです。しかし、その次元は常人の情の中にあり、私が文学作品から受け入れた道理も常人レベルの道理で、宇宙の中においては、きわめて低い次元のものです。一方、法輪大法の法理はこの上なく浩瀚で広大なものだ、と突然思いつきました。

  同修との協力の中で、私はずっと「人」の観念で周囲の出来事を評価してきましたが、それは人の道理には合っても、弟子に対する大法の要求に合うとは限りません。たとえ私のした事は正しいとしても、出発点が「人」のところにあれば、自分の精進を妨げて、他の人をも邪魔することになります。

  同修は私の言ったこととやったことが正しいと認めても、内心で私を認めず、私は自分が正しいのに、なぜいつも傷つけられるのかと不平に思う根本的な原因は、すべてここにあったのです! 私はひたすら「人」の道理を守って極端に走り、観念が触れられる時、「悪をもって悪を制する」と思い、出発点は利己的で、神のように慈悲深く世の「相生相克」の現象に対処できなかったのです。

  師父は『2004年シカゴ法会での説法』に「神は慈悲深く、最大の寛容を持っており、真に生命のために責任を持っているのであって、人間の一時の行いを重く見ているのではありません。なぜならば、神は本質から生命を悟らせ、本質から生命の佛性を目覚めさせているからです」と説かれました。また、『2004年ニューヨーク国際法会での説法』に「一つの生命にとって、何かをするとき他人を配慮し、寛容を表すことができれば、このときこの生命は『他人のために』という基点に立っているからです」と説かれました。

  私を長年妨害してきた「良い人間になる道理を謹んで守る」観念を解体して、無条件に「真・善・忍」の宇宙特性に同化したいと、私は発正念をしました。私の内心はとても落ち着いて波も立たないのですが、なぜか涙が止まりませんでした。私は何度も涙を拭いて、全身が熱くなり、汗が服を濡らしましたが、心は清朗で晴れています。今、私はやっと「内に向けて探す」ことの巨大な力を感じて、同修の間の「対立」は師父の苦心の按排だと悟りました。

  その日、私はとてもはっきりとした夢を見ました。夢の中で、私は姉(常人)に「お姉さん、私はもう放棄します」と言いました。姉はほっとして、「おや、あなたはやっと修煉を放棄できましたね」と言いました。私は、「修煉ではなく、私は観念を放棄するのです」と答えました。その途端、遠い所に原子爆弾の爆発のようにとても大きい雲が上って、半分以上の空を充満しました……。目が覚めたら、私のずっと抱えてきたいわゆる「人生の真諦を求めて身を謹む」観念、根本的な執着は、洪大な正法の勢いの中で、原子爆弾の爆発のように解体されたと、私は分かりました。

  師父の経文『圓満成就に向かって』が発表されて10年近く経ちました。私も暗記していますが、自分の根本的な執着は何かについてずっと認識できていませんでした。毎回の対立とトラブルの後、いくつかの執着も見つけたようですが、それは根本的な執着が生み出した「観念」に過ぎず、今日、やっと観念の根を探し当てました。

  旧宇宙のたくさんの生命は今日の正法の中で、師父を助けているようですが、実際に正法を言い訳に自分の根本的な私利を守ろうとしています。修煉の中で、根本的な執着を抱いて放下しない我々修煉者も同じです。これがまさに旧宇宙の利己的な生命が淘汰される原因に違いありません。この根本的な執着は本当に修煉の道づれの障害物で、修煉の出発点と目的を歪ませ、たとえ多くの大法の仕事をして、多くの真相資料を配っても、修煉者を正しい道から離れさせるのです。 

  この根本的な執着を1日も早く見つけて、はじめて旧勢力の束縛から解放され、はじめて師父が按排された正法の道を歩むことができ、はじめて「師を助け衆生を救い済度する」という誓約を果たすことができるのです。

  2010年2月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/1/217270.html

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