黒龍江省:迫害され痩せ衰えた法輪功修煉者が記憶喪失(写真)
(明慧日本)宮鳳強さんは2009年12月、黒龍江省の佳木斯(ジャムス)刑務所で迫害され、体が極度に痩せ衰えて、精神不安定となり、自立生活ができなくなった。宮さんの家族が3年間も釈放を求め続けたので、刑務所側は人命に関わる責任を逃れるために、重病のため服役中の一時出所を許可した。この時、宮さんはすでに記憶がなくなり、話すことや食べることもできず、排泄もできず、常に気を失った状態で、全身が動けなかった。宮さんの椎骨は変形し、息苦しく、胸が痛み、排泄物は牛乳のように白かったという。
| 宮鳳強さん |
| | 刑務所から釈放されて1カ月後の宮鳳強さん |
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2006年12月から3年間、宮さんの手首には手錠の痕がまだ残っていた。今でも刑務所は宮さんを拘禁しようとして宮さんを強制的に佳木斯の病院に行かせ、精神病の鑑定を受けさせようとしている。宮さんの親族には刑務所で鑑定しなければ、指名手配をする、その責任は家族にあると脅迫した。
2006年12月2日、警官・趙連成は宮さんの家宅を捜査し、後ろから宮さんを蹴飛ばしたので、宮さんの右膝蓋骨が骨折し、歩けなくなった。警官は宮さんが気を失うまで殴り続け、胸、背中、心臓、肺、呼吸困難などに重傷を負わせ、公安局に強制連行した。さらに、警官は宮さんの家から8200元(日本円およそ10万円)を奪い取った。その後、宮さんの妻は迫害から逃れるため、7歳の娘を残し、家を出た。
宮さんは公安局でさらに警官の暴行を受け、2回も気を失った。また氷点下30度にも関わらず、警官たちは冷水を宮さんの首から全身にかけて、トイレにも行かせず、食事も与えなかった。その後、警官は宮さんが飢餓状態のとき強制的に灌食した。警官たちは宮さんが死んだら、責任を負えないと怖がり、宮さんの拘禁場所を変え続けたが、すでに体が動かなくなっていたという。拘禁場所を変えても、宮さんは受刑者により下記のような暴行を受け続けた。
受刑者たちは交替で宮さんを監視し、呼吸できなくなるまで放さなかった。上記の暴行を受けた結果、宮さんは何度も気を失い、心神喪失になり、話すことも食べることもできず、粗暴になり、両親や子供のことまで分からなくなっていた。
そのような中で、中国共産党は宮さんに対して5年の実刑判決を言い渡した。宮さんの家族は、公安局副局長で610弁公室の李柏河に頼み、宮さんの治療と精神鑑定を求めたが、李に拒否された。6月4日、宮さんの身柄は佳木斯の蓮江口刑務所に移された。
2007年夏、宮さんの家族は再び宮さんの医学鑑定を求めたが、蓮江口刑務所は1500元(およそ2万円)をゆすり取った。しかし、鑑定時の家族同伴や治療などは認めなかった。2008年3月、宮さんの身体状況がさらに悪化し、鑑定してもらった結果は「精神病状態、聴力なし、刑罰に服することはできない」となったが、蓮江口刑務所はオリンピック、パラリンピックの開幕を理由に、宮さんの一時出所を拒否した。
パラリンピックが終了しても、蓮江口刑務所は鑑定結果が半年を越えて有効でないため、再鑑定すると言いながら、再び宮さんの親族に金銭(金額不明)を要求した。その後の宮さんは完全に心神喪失となり、治療や釈放もないまま、身柄を依欄留置場に移され、依蘭から佳木斯刑務所に移された。2年間、宮さんは一言も話せず、自立生活ができなくなり、排泄物も食べたという。
宮さんを強制連行し、迫害した責任者の元公安局長の石亜ビンは失職した。
2010年2月15日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/10/217874.html)
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