■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/16/mh185217.html 



内に向かって探し、全体を作ろう

文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、同修が連行され、大きなショックを受けました。自分が迫害されることを恐れる心が突然現れました。同修と一緒にいた日を振り返って見ると、同修の足りないところを簡単に指摘したり、上司のように直接指摘したりしたこともあります。しかし同修は反駁したこともなく、異なる意見を述べたこともなく、いつも私の考え方とやり方に完全に賛成していました。

  そのため、私は修煉中に現れた彼のいくつかの問題点に対しても妥協して、真剣に対応しませんでした。そして崇拝と崇拝される恐ろしい現象がかすかに現れました。

  私自身の問題点は、この地域の全体的な問題になりがちです。協調する時、同修を尊重せず、同修を見下げて、上からの目線で同修を非難して、2年前深く同修を傷つけたことがあります。同修が回り道を歩んだため、同修を見下し、同修が交流しようとしたときも、自分の執着心に気付かなかったため、同修の招待を拒絶しました。

  勇気がなく外に出て来ない同修に対しても、交流して効果がなければ、同修を毛嫌いし、同修を包容することができませんでした。焦ると同修にあれこれをさせて、同修がそれらのことに耐えられるか考えたこともありませんでした。

  同修と交流する時、顕示心と歓喜心が言葉に現れました。自分の足りない部分を覆い隠し、自分の内心を見せませんでした。そのため同修に「自分がやったいい事ばかり言う」と言われました。

  最近『転法輪』の「彼は自分の名誉が失われるのを心配するあまり、その病気を代わりにもらえるならもらってもよいとまで考えるのです。 名誉を失いたくないのです。なんと強い名利心でしょう」を読んだ時、私は心の中で、「この人は本当に馬鹿で、名利のために命まで捨てるのだ」と思いましたが、実は私こそ馬鹿に違いありません。

  常人の中で身に付けた技能と大法の中で得た知恵を同修に見せびらかす資本とし、名誉と威信を得ようとしました。同修が私の話を聞いてくれないと気分が悪くなり、私の提案を受け入ない彼を相手にしたくありません。このような偽の修煉は、実は名声をほしがる虚栄心です。

  同修と一緒にいる時、よく同修のために焦っていましたが、実は自分を実証し、自分の修煉レベルを見せびらかしています。そのため同修の間に違和感が生じ、全体的な団結を妨げました。

  協調人をやっている同修が名誉を求める心は、全体的な団結を妨げます。あなたが作ろうとする全体はあなた1人の思っている全体です。同修達は全体的な団結を望み、交流する事を望んでいます。協調人は心を静め、内に向かって探し、全体的な団結を妨害する原因を掘り出す必要があります。

  名誉を求める心は一種の情であり、満足を求める感覚です。その中で本当の自分を忘れ、修煉の道から遠く離れるかもしれません。非常に危険なことです。「人間が何か大きなことを行おうとしても、人間にはその能力はありません。往々にして人間の悪い考えが他の空間の邪悪生命と一致し、邪悪生命は人間の悪い考えを利用して自分の目的を達成すると同時に、人間の悪い考えによる欲望を満たすのです」。(『各地での説法二』『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』)

  全体的な団結ができない、或いは全体的な協調ができないのは、協調人に大きな責任があります。協調人たちの関係、協調人と他の同修との関係をうまく処理しなければなりません。

  自分のこれらの執着心を見つけた時、私はちょうど師父の説法——『各地での説法二』の中の3編の説法『二〇〇二年ボストン法会での説法』、『二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』、『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』を勉強し、心がぱっと開きました。地元の協調人達が一緒に師父のこの3編の説法を学ぶことを提案します。各学法グループはこれらの説法を学んで、全体を作り上げ、全体の協力の中で向上して欲しいのです。

  慌ただしい中、浅い意見ですが、また同修と切磋琢磨し、法理に則っていないところは同修の慈悲のご叱正を願います。

  2010年2月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/15/218060.html

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