自我を突破する
文/中国の大法弟子
(明慧日本)2002年秋のある日の正午、外出して家に戻って10分も立たないうちに村の委員が来て、「午前、派出所の人があなたの家に来たが、家に鍵がかかっていたので帰りました。明日写真を持って派出所に行って見なさい」と言いました。
私は大声で「彼らは違法行為をしている。いい人を迫害するのは罪です。法輪大法は『真、善、忍』を提唱し、社会にいいのです。『真、善、忍』を迫害するものこそが邪悪です。私はこれ以上彼らに協力しません。派出所や洗脳班にも行きません」と話しました。
村委員の顔には鳥肌が立ち、身体が凍ったように、私と目を合わせるのも怖がっているらしく、すぐ帰ってしまいました。真相を伝えることは、邪悪を整理することでもあります。村委員が怖がっているのは、背後の邪悪な要素が整理されたからです。
真相を伝え、衆生を救い済度する過程で、学法をしっかりすればするほど着実に仕事をすることができるのがわかりました。学法がよくできていないと、仕事もうまくできないし、悩みなどが生じる場合もあります。
去年の旧正月ころ、家族の一人(修煉者)と近所の修煉者が数十枚の真相のお守り札を持って服を買いに行きました。しかし午後1時になっても、帰ってきません。
「真相を伝える時に何かに巻き込まれたのではないか」と不安に思っているところ、村の治安主任が家に来ました。私は不安で落ち着きませんでした。治安主任は「何でもないよ。近所に用事があったが、人がいないので、あなたの家に来た」と言いました。彼が帰った後、自分の念が正しくないのに着付き、心を落ち着かせ、内へ向かって探しました。これは先に自分のことを考える旧宇宙の特性ではないでしょうか? 家族が真相を伝え、人を救うことはもっとも正しいことではないでしょうか? そんな大法弟子を旧勢力はあえて迫害できるのでしょうか? 修煉には大事件と小事件の区別などはありません。少しでも自分のために考えると、自我を突破してない証明であります。
修煉は人心を捨て、次元を向上し、法の各次元での要求に達することです。ある時期、私はある恐怖心に襲われました。どうしても恐怖心を取り除くことができず、非常に苦しんでいました。内へ向かって探し、自分に質問しました。「いったい何を怖がっているのか? 捕まるのが怖いのか?」
これは自分の考えではないと感じました。しかし後天的な観念であるか、それとも旧勢力に強いられた観念であるかははっきり分かりませんでした。そのころは非常に苦しんでいました。私は発正念して自分の空間場を整理しました。
「迷いの中で修煉していても、過去に旧勢力とどんな関係だったとしても、現世は師父の按配した道を歩み、他の按配は拒否しますので、師父の加持をお願いします」と思いながら続けて発正念しました。
ある日、夢を見ました。夢の中で、朝、庭に出て濃い霧で何も見えませんでした。しばらく経つと、霧が消え、空が晴れ、虹が出ました。目が覚めた後、怖がっている心がたくさん消えたのを感じました。師父が私をもっと精進させるよう励ますためにご加護してくださったと悟りました。
2010年2月17日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/1/26/216985.html)
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