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師に手伝って法を正し 絶えず精進する(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)法を正すこの十数年の修煉過程で、私は人間社会の艱難と辛苦を嘗め尽くしました。最も苦しかったのは、執着心を抱えて法理が悟れない時でした。その苦しみは心をえぐるような、骨身にしみるような苦しみでした。しかし、私は落胆せず、師父を信じ、大法を信じ、自分は必ず良く行えるようになれると信じていました。この数年間、私を褒める人が多かったのですが、私は常に師父の教え、すなわち「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであって、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」)をしっかり覚えて、正しく対処することができました。

 法を正す時期の大法弟子である私たちを、師父は地獄から救ってくださり、きれいに浄化してくださいました。私たちは大法の創造した新しい生命として、重大な責任と使命を担っています。私はの存在意義は生命のすべてをもって、師父の必要とされることを円融し、人間世界で最大の善を体現し、誓約を果たし、師に手伝って法を正し、衆生を救い済度することです。法を正す時間がまだどのくらい残っているかに関わらず、私たちには自分を緩め、精進しない選択肢はありません。なぜなら、私たちの生命は大法に属しているからです。

 一、 修煉を始め、法を実証する

 私は1996年に修煉を始めました。修煉を始める前、腰を負傷して、障害がありました。仕事をする時、腰をまっ直ぐにすることができず、脚も感覚を失い、やせて骨と皮ばかりでした。針で刺しても感じることなく、正常に歩くこともできず、自分で自分の生活の面倒を見ることができませんでした。その時、私は1カ月に3000元から4000元の医療費と、給料を会社から支給されていました。私はあちこちに治療に行きましたが、結局良くならず、常に希望のない苦しみに包まれていました。

  ある日、私は法輪功を修煉しているある女性に出会いました。彼女は私に大法の素晴らしさを教えてくれ、私に本を読むように勧めてくれました。そして、私は法を学び始めました。私は大法とは何かが本当に分かった時、毎日真剣に法を学び、そして、人間の由来と目的が分かった時、ずっと治療できなかった苦痛はすでに姿を消してしまっていました。私は自分が障害者であることさえほとんど忘れてしまって、治療したいという心も持っていませんでした。身体はどんどん好転していきました。私は毎日法を学び、煉功しました。半年足らずのうちに、完全に回復することができました。

 私は大法の要求する心性の基準に従って、自分を律し、真・善・忍に同化しました。身体が回復した後、私は会社と病院を訪れ、真相を伝え、また障害者として受けているすべての待遇を中止してもらいました。そして、また仕事をしたいと要求しました。当時、多く人が大法の素晴らしさを賞賛し、法輪功を修煉する人は思想境地が高いと言っていました。しかし、そんなに多額のお金を求めないので、私を馬鹿だという人もいました。私は、法輪功の修煉者は嘘なことをしてはならないと伝えました。その後、私は普段と同じように出勤し始めました。

 1999年7月、恐怖の魔王が天から降りて来て、中国共産党はその権力を利用して、デマを流し、師父と大法を中傷し始めました。

  1999年10月、私は北京へ陳情に訪れました。その時、天安門はすでに警官で埋め尽くされていました。当時、私は一つの念しか持っておらず、それは例え死ぬとしても法を実証するということでした。私の心は水のように静まり、この世に私1人しかいないようでした。私は順調に一つ、また一つと封鎖を突破し、人民大会堂までたどり着きました。私は人民大会堂の一つ目の階段の中央に立ち、目を閉じて、煉功を始めました。

  5、6分くらい経った時、突然2人に腕を持ち上げられ、「また、あんたの胆っ玉はなんと大きいことか、あえてここへ来て煉功するとは」、と言っている声が聞こえてきました。私は中共政権のリーダに状況を伝えることを願って来たのであり、「法輪大法は正しいものです」と言いました。その後、取り囲んでくる人はますます多くなり、警官らは私に有無を言わせず、強制的に黒い車へ押し込んで、北京の駅前派出所へ連行しました。

  警官は私を強制的に鉄の籠に閉じ込め、無理やり体罰を加えました。その後、名前を聞かれましたが、私は大法弟子だと答えました。法を実証しなければ、私は家へ帰らないと決意しました。彼らが写真を撮ろうとすると、私は、「師父、弟子をお助けください。彼らに写真を撮られたくありません。私はまだ法を実証することもやり終えていません」と言いました。その時、写真はぱっと変わりました。顔は私ではなく、写真と人が合わなくなりました。

  その後、彼らに自白を迫られた時、私は上記の自分の修煉体験を彼らに伝え、法輪大法は高徳の大法であり、マスコミのニュース報道はすべて偽りで、でたらめで、誹謗中傷であると伝えました。彼らはただうなずくだけで、何もしゃべりませんでした。

  当時、私はある大手会社の作業服を着ていたため、警官らは私の所属会社を知り、地方の公安を呼んできました。北京の警官は地方からやって来た警官に、私が人民大会堂の赤いカーペットの上で煉功したと伝えました。地方の警官は現地の拘留所に私を連れて行きました。私の及ぼした影響があまりにも大きいので、私を裁判にかけると言いふらしました。

 留置場で私は真相を伝えました。市公安局は何回も私に自白を迫りましたが、毎回、私は真相を伝えました。自らの体験で大法を証明し、自分の行動で、真・善・忍を実証しました。したがって、彼らは毎回恐ろしい形相をしましたが、黙々と無言で帰っていきました。その後、市公安局の取締課の課長らが訪れ、私を逮捕しようと企みましたが、私はこの機会を利用して彼らに真相を伝えました。

 問:あんたはどうして大会堂へ行って煉功したのか?

 答:私はただ公民の権利を行使しただけです。北京へ行き、中国中央政権のリーダらに状況を伝え、大法は人を救い、法輪功は無実であると言いたかったのですが、なんと陳情オフィスは看板がなくなっていて、いたる所、銃を持った警官ばかりだったのです。そこはもう陳情オフィスではなかったのです。大法と師父の潔白を取り戻すために、国が太平で民の暮らしも平安になることを願って、道理を説明することのできる人を探しに、大会堂に行きました。そこにはまさに人民大会堂と書かれているではありませんか?

  彼らはまたとても多くの質問をしてきました。私は自分が体験したこと、自分のやってきたことについて彼らに伝え、すべては大法を実証する言葉でした。彼らは、あなたはこれほど多くの良いことをしたのだから、もしこれらが、共産党が教育した結果だと言うなら、私は上に報告すると言いました。私は法輪功を修煉してから、名を求めず、利益も求めないようになり、大法は私に第二の生命を与え、法輪功は私に真・善・忍を教えたので、私は絶対にうそを言わないと答えました。この尋問過程は私が真相を伝え、大法を実証する記録となりました。彼らは2、30ページ記録しました。後になって、取締課の課長は、あなたは本当に良い人です。自宅へ帰りなさい、と言ってくれました。そして私は無事に帰宅しました。

 (続く)

  2010年2月18日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/14/216202.html

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