■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/19/mh214869.html 



法を正す時期の修煉で、偉大なる師父に感謝する(五)

文/中国の大法弟子

(明慧日本) これは、私の個人的な悟りですが、旧勢力はもちろん私の弱みを掴み、私を「試練」するため、「病業」の形式で迫害していますが、同時に、旧勢力にはしたいことがあります。私の不足と漏れを利用して、「病業」の形で私の周囲の人に見せ、結局、見た人は、私の状態から大法の素晴らしさや神聖さを見ることが出来ず、「病業」しか見えないため、大法を誤解してしまいます。これで旧勢力は不純な生命を淘汰する口実を作ることができます。

 したがって、私は自分を正して着実に修煉すると同時に、病業の問題に対して、ただひたすら我慢するのではなく、積極的に邪悪の要素を消滅しなければなりません。自分の苦痛からの解脱ではなく、大法を守り、衆生を救い済度することです。最後の結界がどのようであれ、私はすべてこのようにし続けます。大法弟子の責任は邪悪を一掃し、大法を守り、衆生を救い済度することです。

 師父は新しい生命を与えてくださいました

 私の修煉過程を顧みると、風雨の中から今日まで歩んできて、躓いたこともあれば、大きな過ちを犯したこともあります。しかし、師父は私を見捨ててはいらっしゃいません。師父さらに機会を与え、私を連れて一歩ずつ法を正す道へと導き、向上させてくださいました。なぜ私はいろいろ過ちをしたのでしょうか?私は絶えず学法を通して、内に向かって探し、同修の交流文を読んでから、二つのことを悟りました。一つは、学法が足りないこと、とくに心を静めて行っていません。もう一つは、内に向かっ探すことをしていませんでした。いつも外に向かって人のことを探しています。修煉の中で個人の修煉を重視せず、着実に修めていませんでした。今日まで修行を積んで、やっと本当に内に向かって探すことが分かり、本当に恥ずかしく思っています。

 師父は私達に幾千万の機制を授けてくださり、内に向かって探す時、法理に沿って、機制に応じて行えば不足を取り除くことができます。内に向かっていない時、法理と機制に沿っておらず、邪悪に隙に乗じられ、問題が発生やすいのです。

 実はどんなものでも物質です。例えば、怨恨、苦痛、不平不満、執着心などすべては物質です。ある時、私は家族に神韻のDVDを見せようとしましたが、皆は見ようとせず、態度はとてもよくありませんでした。その時、私は憤懣やるかたなく、辛かったのです。そして、内に向かって探さなければならないと思い、よくないものを捨てようとした時、一瞬の間にあの辛い心がなくなり、心から慈悲の心が現れました。本当に皆が私に向上する機会を提供してくれ、本当に感謝しています。

 修煉の中で、心を静めて学法し、内に向かって探し、問題に対処する時の基点の重要性、そして、師父と法への固い信念がさらに重要だと体得することができました。師父は宇宙の衆生のために苦労しておられ、師父が与えてくださったことに対し、私たちの永遠の生命を持ってしても恩返しできません。これからの修煉の中で、着実にしっかりと三つのことを行っていきます。

 (完)

  2010年2月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/14/218154.html

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