魔難の中にいる同修と交流する
文/山東省の大法弟子
(明慧日本)先日、私の頭が突然くらくらしてきました。子供達は誰一人もそばにいませんでした。これから、子供たちに昼食と夕食の支度を準備し、その上、孫の面倒もみなければならないのです。私は80歳になろうとしているのに、他人の世話までしなければならないと考えると、人心が湧き出てきて、悔し涙が思わず流れ出しました。亡くなった連れ添いがもしいてくれたら助けてもらえるのに、今はすべて自分でしなければならないのです。考えれば考えるほど悔しくなりました。亡くなった主人があの世に行って苦労もせず、楽になったかもしれないと考え、自分もこの世に残りたくないという幽かな考えがありました。
当時、この考えを排除したり分析したりしませんでした。自分が自ら死にたいと願っていることも認識していなかったのです。その後、師父に線香を供え、2日連続して西側のある一本の線香がいつも3センチぐらい燃え残りました。次のとき、同じ長さに注意しながら挿して火を点けると、結果は同じでした。
娘(修煉者)とこのことについて交流すると、娘は「最、三つのことをちゃんとやっていますか」と聞くと、「まあまあ」と答えました。娘は「最近、心性について何かを気付いていることがありませんか? これはお母さんにしか分からないことです」と聞かれ、私は何も答えなかったのです。
朝6時に発正念すると、突然、強烈な意念(声ではない)が頭の中に現れました。「あの世に早く行きなさい。あの世に早く行きなさい」と何度も繰り返しました。このとき、やっと物事の重さに気付きました。私は心の中で絶えず「私は李洪志先生の弟子です。師父の言われたことしか聞かない。あなたと一緒に行かない。師父について行く!」と考えました。正念が強くなると、その意念が消え去りました。それから、師父に線香を供えると、全部燃え尽きました。
師父は『転法輪』の中でおっしゃいました。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」もし、当時の私の正念が強くなければ、旧勢力の道を歩むことになったかもしれません。そうなると、大法に泥を塗るだけではなく、衆生を救い済度することにも悔いが残ったでしょう。近い将来、大審判を迎える時、誓約を果たせなかったことになり、それによって多くの命が失われるでしょう。
この出来事を通して、私は憎しみ、怨恨、マイナス思考、円満成就を求める心、犠牲を払いたくない心が全部暴露されました。これらを徹底的に取り除き、師父が按配してくださった道を歩み続けようと決心しました。
魔難の最中にいる同修たちも、心を隠さず、自ら進んで同修と交流し合い、ともに精進し向上しましょう。
以上、間違っているところがあれば慈悲なる指摘をお願いします。
2010年2月21日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/4/217461.html)
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