嫉妬心を無くし、同修の長所を学ぶ
文/中国の大法弟子
(明慧日本)グループ学法に参加した際、私は三退した名前のリストを同修に渡しました。そして三退を勧めた経緯を述べようとすると、同修の甲さんがいきなり割り込んできて、自分が家政婦としてこの家で働いていたとき、家主に真相伝えをした経緯を延々と話し始めました。私は甲さんの話に最初から耳を傾けようとしなかったし、その上、終わる気配もないと見て反感を抱きました。口には何も出しませんでしたが、心の奥ではイライラしました。
これは嫉妬心だとすぐに気付きました。同修が人に三退をよく勧めているので、同修達も囲んで聞きたがるので、私は不満を感じ、「私こそよくできている」という観念が絶えず湧き出て、自分の考えを同修に伝えて、認めて貰いたかったのです。これは明らかに自己への執着と顕示ではありませんか。汚い私心です。同修がしっかりと行ったことを喜ぶべきなのに、私は逆に、喜ぶどころか同修の失敗を望み、それによって自分を顕示しようと思っていました。同修の誰であろうと皆それぞれの長所を持っているのに、私はよく発見しようとも認めようともしなかったのです。同修の長所を学んでよりよい修煉者になり次元を高めようとしませんでした。
私は嫉妬心を見つけ出すと、すぐ取り除き、心を静めて同修の話に耳を傾けたのです。すると、同修の多くのよいアイディアを発見し、これから私も試していこうと思いました。例えば、共産党に入って70年も経つ元軍人に真相を伝えるとき、急いで三退を勧めませんでした。この家には毛沢東や他の共産党のボスの画像を掛けているため、脱党に対して反発するだろうと思い、同修はまず日常会話から入り、法輪功のことや中共がなぜ法輪功を迫害することを話しました。相手の疑問に根気よく答え、基本的な認識を持たせてから、共産党がでっち上げた嘘や偽りを正して、テレビから得た情報が正しいものばかりではないと認識させると、かれは、共産党は信頼できないと呟き始めました。その上で、三退の話をすると、本人が自ら進んで三退してくれました。
正念と知恵を持って真相を伝えた同修の行いは、私に大きな力と啓発をくれました。同修は鏡のような存在で、いつも私に知恵を与えてくれるはずなのです。同修の長所を学び、自分の短所を補う、これも修煉の一部だと思います。同修は一体であり、お互いに円容し合って、初めて全体が向上できます。さらに師父が按排してくださった道をしっかり歩むことができ、邪悪に隙を与えることもなく、同時に嫉妬心を取り除くことも出来ると思います。
少しの悟りですが、ご指摘してください。
2010年2月22日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/14/218166.html)
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