■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/02/23/mh255636.html 



私の兄が迫害されて死亡した経緯

(明慧日本)私の兄は、中共による迫害を受け、2004年1月20日にわずか40歳の若さで死亡しました。

 兄は1994年、広州で李洪志先生の講義を受け、修煉を始めました。その後、当地の世話人となりました。1999年7.20、江沢民を首謀とする中共は法輪功に対して迫害を始めました。兄は最初に迫害を受けた法輪功修煉者です。1999年8月2日、兄は地元の警官に強制連行され、20日間拘束され、同時期に兄が勤めていた会社から解雇されました。

 2001年夏のある晩、兄は他の5人法輪功修煉者と、兄が経営している雑貨店で法輪功の書籍を読んでいたところ、数人の警官に強制連行されました。兄は裁判も受けず、警察からの電話で「社会の治安を乱した」との罪で5年の刑に処すると分かり、さらに5年間も家族との面会権利を剥奪するというのです。私はその警官に、兄が犯罪した証拠、現在どこに監禁されているかと聞きました。その警官は「知らない」といって電話を切った。その後、兄の所在を調べ、ハルビン第三刑務所に収容されていたことが分かりました。私たちは警察、裁判所、刑務所に不服として申し立てましたが、相手にされませんでした。

 2003年12月26日、警察から突然電話がかかり、兄を仮釈放してもよいとのことでした。兄に2年ぶりに会えると一家は喜びました。私たちは手続きを済ませ、刑務所へ兄を迎えに行きました。私たちは刑務所の正門で待ち続けました。しかし、刑務所の中から聞こえてきたのは、「こいつはもう廃人だ。家に帰しても生きられないだろう」という声でした。そして、「趙書学の家族はいるか?」と呼ばれました。姉夫婦が向かいました。担架の上から見えたのは、服がぼろぼろで40キロ足らず、腹部が腫れ上がり、臭味を放っていた兄でした。これで初めて兄を釈放するという意味を理解したのです。私たちは急いで兄を病院に入院させました。

 兄は骨が見えるように痩せていて、お腹がぱんぱんに腫れ上がり、脚や腰が腐乱し骨が突き出していました。顔色は灰色で、髪はまばらしかありませんでした。しかし、兄の意識ははっきりしていました。笑いながら私に言いました。「泣かないで、兄さんは大丈夫だから、近くに来ると子供が怖がるよ。考えもしなかったよ、何年か会わないうちに、あなたは母親になったんだね」兄は息を引き取る前に、誰も憎んでいないこと、善良な人たち、兄と縁のある人たちに、自分の生命の真理を大事にしてほしいと、伝えてほしいとのことでした。兄は、法輪功修煉者として、生命をもって大法を守ったのです。

 兄は、最期に私にこんなことを言ってくれました。「自分の信仰を固く信じ、『真、善、忍』を固く信じ、迫害は必ず終わることを信じ、以前のようにみんなが公園で煉功する日が来る」と。2004年1月19日の夜、兄は大量の吐血をして、20日の朝方に安らかに息を引き取りました。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2010年2月23日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/10/217890.html

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