正念をもって入試に臨む(一) 文/大法の小弟子
(明慧日本)親愛なる師父、こんにちは。私は2004年に大法の修煉を始めた小弟子です。私がどのように学校を選んだのか、どのように正念をもって入試に臨んだのか、自分の経験を書き出して、同修の皆さんと交流したいと思います。
私たちの地域の高校生のほとんどは寮に住み、時間も厳しく、基本的に時分のための時間がありません。週末は一日だけの休暇で、たくさんの宿題が出されます。私の成績では一流の学校に行けますが、そうなれば学法の時間がなくなります。お母さんは同修として私と交流するときにこう言いました。
「学法をしなければあなたは修煉の道から外れてしまう。この問題に対してあなたはどう思うの?」私は、修煉さえできればどんな学校でもかまわない、と思っていました。私のお父さんとおじいさんは常人で、彼らは先ほど言ったような一流の学校に入ってほしいのです。もし、私がそのような高校を受験しなければ、彼らは理解してくれるでしょうか?
私はお父さんと叔父さんからの圧力に耐えられるのでしょうか? 私のお母さんもこの問題について心配でした。一緒に考えたすえ、お母さんと私は「2007年ニューヨークでの説法」を学びました。お母さんは「一緒に法を読まないと自分から積極的に法を学ぶのが難しいからね」と言いました。同修Aさんは「現在の学校で教えるのは共産党に合わせた文化ばかり、そこで形成された観念はちょうど私たちが捨てなければならないものです。だから学校に通うのは常人社会に合わせるだけのことで、それならば、なぜ時間に余裕のある学校に通わないのでしょうか?三つのことをする時間もあります」と言いました。このようにして、お母さんと私は、技術系の学校を受験することに決めました。しかしお母さんは、技術系の学校は校風が悪く、恋に落ちるのも早くて、ゲームセンターなども多く、私はまだ子供で、それに加えて私の好奇心も強く、このような所に入ったら、良くない習慣に染まりやすくなるのではないかと心配しました。最も重要なのは、私はどんな学校にいっても、大法の素晴らしさと、大法弟子はどこにいても良い人であることを人々に伝えなければならないことです。最終的に、母と私は比較的に良い学校を選びました。この高校は家に近くて寮もありません。そうすれば、学法する時間もあります。
最初の受験科目は体育です。私の体育の成績はいつも悪くて、模擬試験のときは20点以上とったことがありません。他の学生が一生懸命体育の競技科目を練習するとき、私は同修Aさんと『転法輪』の「気功と体育」を勉強し、煉功のときは「緩やか、ゆっくり、円満」であるようにしました。、体育と煉功は反対ですが、大法は超自然的な存在であるため、法の中にいれば奇跡は起きます。だからあまり時間をかけて競技科目を練習していません。時間があれば本を読んだり、法を暗唱したりしていました。受験当日の午前中は授業がなくて、同修Aさんは私と放流しました:『転法輪』では、「物質と精神は同一のものです」と書いてあります。だからまず始めに自分の観念を変えることです。あなたはもう常人ではなく修煉の人です、昔では修煉者のことが半分神と呼ばれていました。神ならば、奇跡は必ず起きます。師父は私たちに発正念するとおっしゃいました。あなたも発正念してあなたが真相を伝えるのを邪魔するものを取り除いてください。交流のあと、私は自分の頭がハッキリしてきたと感じました、午後の試験はいつも通り臨んでいました。結果は28点を取りました。なくなった2点は私の発正念が足りなかったことが原因だと思います。ボールを投げるとき、いつもは4,5回投げていい成績を取れるのにとついつい考えてしまい、最後まで自分の考えを変えることができず1点なくしてしまいました。もう一つは自分の体重が超えてしまうではないかと心配して(以前は越えていました)、この考え方を変えられず1点なくしました。しかしたち幅跳びのとき、師父にお願いをして、思い切り飛ぶと満点をもらうことができました。
受験前の学校の生徒たちは皆塾を通いました。大法の修煉を始めてから、私は生きる目的を知っているから、2005年の時から塾を通わなくなりました。学法する時間をもっと増すためです。受験前、同修Aさんと交流しました。あるところに4人の大法弟子がいます。2人はとても頭が良くて残りの2人はその2人と比べるとそれほど優れていません。彼らはいつも一緒に学法や煉功をして、受験前の時期になると頭が良いといわれている二人は全体の学法に参加せず、勉強に力をいれていました。一方、成績のよくない2人はずっと法を学び続けました。その結果は成績のよくない2人がかえってよい大学に入り、成績のよい2人は落ちました。もちろん、私が学法する目的は将来良い学校に入ることではありません。しかし、「法を良く勉強することができれば、修煉の中であなたの何かに影響してしまうようなことは決してありません。かえって、仕事と勉強に時間をあまり掛けなくても良い成績を収めることができます。」(『二〇〇三年旧正月十五日の説法』より)大法を必ず第一位にしなければなりません。それからのことは全て師父が按配してくれます。私はこれらのことを分かっているから塾などに通いませんでした。
(つづく)
2010年2月24日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/9/217803.html)
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