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内に向かって探し、邪悪を取り除く


文/中国の大法弟子 

(明慧日本)私は大法を修煉して13年経ちました。慈悲なる師父に導かれて、私は修煉し向上することができました。法理を悟ったときの心地のよさ、旧勢力の妨害による迷い、精進して法の偉大さ、怠けることの空しさを感じることがありました。

  今日、明慧の一角を借りて、自分の悟った僅かな体験を交流したいと思います。

 師父は『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』の中で「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます」と説かれました。

 時には、難儀に出遭うと、邪悪を取り除くどころか、かえって邪悪に妨害されてしまいます。どうしてでしょうか? 例えば、迫害されたり、家族に妨害されたり、学法する時間すらないほど家事や仕事で忙しくなったりすることなどがありました。

  どうしてこのような現象が現れたのでしょうか? これらの難儀はどうして私たちの修煉を妨害できたのでしょうか? 私たちに欲望や人心があるため、清らかな心になれず、慈悲を十分にもっていないからです。

 この前、天気が崩れて、私はしきりに鼻水を流し、絶えずくしゃみをしました。常に常人の思惟で考え、過敏性鼻炎だと思いました。これを見た常人が私を皮肉りました。「すごい気功をやっているのに、なぜ効かないの? 煉功しない人でも、あなたみたいになっていないよ」

  これは明らかに妨害されてしまったのです。衆生がこのような私を見れば、きっと大法の真相を知りたくないと思います。そうなると、彼らを救えなくなり、私が罪を犯したことになるのではないかと考えました。自分がまた多くの執着心を持っていることに気づきました。疑心、求める心があり、慈悲心が少ないのです。

  生活の中で、自分だけが偉いと思い込み、他人の思いを考えず、大法を攻撃する言葉を耳にしても、慈悲をもって真相を伝えようとしませんでした。寛容心が足りず、すぐ怒り出し、こうなると毎回必ず鼻が詰まってしまうのです。これらの良くない心を正し、執着心を取り除いて、慈悲心が表れると、すべてがよい方向に変わりました。内に向かって探してこそ、邪なものを鎮めることができると、私は体得しました。

 最近、仕事が忙しい上、家事も多いのです。すべてが終って学法を始めるとすぐ眠気に襲われ、法を集中して学ぶことができず、これがすでに習慣になりました。大法を読むと、また眠くなるだろう、でも今度は、眠らないようにするとすぐ思いました。それでも、結果は同じでした。段々と、学法すると眠りやすいという観念が出来上がりました。まるで、学法することが睡眠剤であるかのような認識でした。この行為は師父を尊敬しておらず、大法をも尊敬しておらず、学法する資格がありません。

 内に向かって探すと、以下のことが分かりました。

  一、法を学ぶときの態度が厳粛ではありませんでした。下着だけを着て、柔らかいベッドの上に座り込み、法を読みながら他のことを考えていれば、何を読んだのかも分かりませんでした。新しい経文が手に入ってもすぐ読まず、長い間置いたままにしていたのです。難儀に出遭うと、いい加減にして乗り越えようとしたのです。修煉において優柔不断で精進しようともしませんでした。これらを認識して、直ちに改めました。

  二、自分の事業の諸行事と利益などに妨害され、心が乱れているのに、いくら法を学んでも、悟ることができるのでしょうか?

  三、人の上に立つ願望が強く、闘争心もあり、他人に指摘されるのを嫌がり、常に自分が一番優れていると考えました。時には、他人の言動が気に入らない時、或いは私への悪口を聞くと、表では穏やかに装いながら、心の中で憎んだりしていました。私が批判されると、その場では我慢しましたが、帰るとやはり不平を感じ他人に愚痴を溢したりして同情を集めました。

 特に夫との間で争うことが多かったのです。私は夫より能力があると思い、自分のことを夫に言わせませんでした。一旦言われるとすぐ怒り出し、大喧嘩をしました。

  内に向かって探してみると、私には闘争心や貪欲また名利を求める心などの多くの人心がありました。これらの人心の根元を探し出し、師父のご加護を求めてから、これらを解体しました。

  それ以後、夫が再び私を罵っても、私は言い返さず、恨むこともなく、直ちに発正念をし、他の空間で彼を制御する邪悪な要素を解体したのです。続いて、自分が罵られた原因を探し、夫より自分の方に能力があると思う変異した考えを発見して取り除きました。これは共産党に長年に亘って毒害されたことによって生じたものです。正念でこれらの毒素を取り除き、修煉者の心構えで再び夫と一緒にいると、彼は言いがかりをつけず、家庭も平和になりました。人心が取り除かれると、慈悲が生まれ、邪悪も滅び、乱す要素はありません。

 心性が高まるにつれて、法理も現れてきました。以前、宇宙の構造についての説法を読んでも、物理の教科書、或いは幾何の図形を勉強するように学び、自分の修煉と結びつけることができませんでした。

  今、再び『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』を読むと、内に向がって探す法と、宇宙の構造についての法が理解できました。それは、師父の正法に力を注ぐため、大法弟子は異なる宇宙から地球へやってきたのです。一人ひとりの大法弟子が、すなわち、一つの宇宙体系であり、内に向かって探すとは、内に向かって修めることであり、自分の体系内の不正の要素を正し、すなわち自分の体を浄化することです。自分自身が正しい行いをすれば、邪悪の存在する場所がなくなり、私たちは三つのことを行うとき、順調に進むはずだと悟りました。

 修煉を法と結びつけることができるように、師父が私の智慧を開いてくださいました。すべては師父の慈悲の中にあります。合掌!

  2010年3月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/22/218583.html

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