■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/03/01/mh032681.html 



師父が伸ばしてくださった時間を大切にしよう

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1998年10月から修煉を始めました。風雨を伴う11年の修煉を、師父の慈悲なる加護のもとで今日まで歩んでくることができました。修煉の中で、足りなかったこと、悔しかったこと、また心性が向上した後の喜びもありました。私の修煉状況について下記に師父と同修へご報告します。

 私の息子は2003年に修煉を始め、2004年に私と一緒に北京へ真相を伝えに行きました。私たちは現地で不法に拘留され、迫害されました。しかし、息子はずっと私と「比して学び比して修し」精進しました。夜には私と一緒に真相資料を配布し、のぼりや、横断幕をかけに出かけ、電柱に真相スローガンを書いたり、貼ったり、スプレーをかけたり、多くの家庭に真相資料を届けることができました。私の夫も私たちの修煉をとても支持してくれ、私が三退を勧めるとき、手伝ってくれました。

 2005年3月8日、派出所の警官が同修Bを尾行して、同修Aの自宅を訪れました。私もちょうど同修Aの自宅にいて、私たちは警官らに真相を伝えましたが、かれらは聞いてくれず、私たちを派出所に強制連行し、また留置場に送りました。そこで、私たちは法を暗記し、煉功し、世の人々に法輪功の真相を伝えました。留置場で「610オフィス」の警官に尋問されたとき、私はかれらの質問に答えず、拇印を押すことを強いられましたが、協力しませんでした。15日後、かれらは私たち4人に3年の労働教養を言い渡しました。いかなる法の手続きもなく、家族に通知もせず、私たちをシ博王村労働教養所に送り、いろんな残酷な迫害を加えました。

  労働教養所で、私たちは互いに助け合って、私は『洪吟』をほとんど暗記できるようになり、また『精進要旨』の『道法』などの経文も暗記できるようになりました。私は毎日絶えず正念を発し、法を暗記しました。正念を発するとき、私は、邪悪の中にいるため、黒い巣をひっくりかえす、という一念を加えました。私は色鉛筆で紙の上に法輪大法はすばらしいと書き、意見箱に入れました。労働教養所の人はみな、意見箱に「法輪大法はすばらしい」と書いた紙が入ったことを知っていました。なぜなら、意見箱の紙を取り出すのは労働教養所の外側にいる、保衛科の人だったからです。

 2007年6月に王村労働教養所3大隊では、数人の邪な悟りをした人以外、すべての大法弟子が共に迫害に抗議して立ち向かいました。警官らは大法弟子を禁足室に閉じ込めたり、厳しく管理する班に入れたり、また厳しく、残酷な迫害を与えました。私は厳しく管理する班に入れられ、11月になって、やっとそこから出られるようになりました。私は労働を強いられても、やりませんでした。また私に修煉を放棄させようとしましたが、私は、私が30数年間気管支炎のぜんそくといろんな疾病を患っていましたが、煉功してすべて治った、あなたたちは私の病気を治療できるのかと真相を伝えました。また私に睡眠を与えずり、1日中立つ罰を与えました。その後、警官が交代で私を監視し、1週間以上睡眠を取れないようにさせました。

  師父から悟りを受け、私は再び迫害されてはいけないと分かり、迫害に抗議しました。その時、私は突然、体が冷たくなり、風邪の症状がでてきました。私を監視していた人は、私の手が冷たいのをみて、警官に報告に行きました。私は体の調子が悪くなり、夜にはまた突然お腹がとても痛くなりました。警官は私を病院に送りましたが、何ごともなく、ただ風邪を引いただけでした。その後、私に手を出す人は誰もいませんでした。一回、邪な悟りをした者らが私の前にやってきてでたらめな話をし、私を転向させようとしました。私は直ちに正念を発し、かれらの背後にある邪悪な要素を取り除きました。しばらく経つとかれらは戻っていきました。

 私が転向を拒否したため、邪悪は私を家に帰らせないと言いふらしました。私は師父に加持を求め、旧勢力の私に対するすべての邪悪な要素をすべて否定しました。また刑務所の外にいた同修らの正念の協力と全面的な救援のもとで、私は2008年に2月に家に帰ることができました。

 帰ってから数カ月間、私はただ学法し、煉功し、基本的に定時毎に正念を発しました。師父の教えられた「ライオンのように勇猛精進する」(『転法輪法解』)という法理がずっと私の頭の中に残っていました。私は大法弟子として、必ず三つのことをしっかり行い、法を正す進展に追いつかなければならないと悟りました。

 家に帰ってみると、息子は邪党に邪魔されて、学法せず、煉功しなかったため、体は修煉前の状態に戻って、病業状態に陥っていました。私が学法し、煉功するように勧めると、最初息子は聞いてくれず、私はとても焦りました。しかし、これも人間の情であり、私がまだ放下していないということを師父は夢の中で悟らせてくださいました。私は法理上、息子と切磋し、明慧週刊を彼に読んであげました。現在彼は私と一緒に学法し、煉功しています。すべてが正常に戻りました。息子は現在私に協力して、彼のクラスメート、友人などに真相を伝え、三退させています。

 私はまた親族、親友らに真相を伝え、三退させています。みな邪党をはっきり認識でき、自分自身のために、美しい未来を選択できました。一部の人はわりに難しかったのですが、焦る必要はなく、すべてのチャンスを掴んで彼らに真相をはっきり伝え、最終的にみな脱退させました。現在私は世の人々に面と向かって真相を伝え、三退を勧め、真相資料と『九評』、およびお守りを渡しています。私は自分の持っているほとんどのお金を真相資料に使いました。今になっても、時間さえあれば、表に出て、真相を伝え、三退を勧めています。私たちは法を正す時期の大法弟子です。私たちは師に手伝って法を正し、衆生を救い済度し、必ず師父の期待と慈悲な苦度に背かないようにすべきです。

 労働教養所から戻ってきた後、姑は常に私に心性の関を与えましたが、私は動じませんでした。なぜなら、私は自分が煉功者であることを知り、心性を守らなければならないと分かっているからです。しかし、学法がしっかりできていなかったため、利益の面でトラブルがありました。姑の家の電気料金はすべて私が支払っています。しかし、彼女はそれに満足せず、冷蔵庫を買って、夏にも新鮮な野菜を食べたいといいだしました。その時、私は人心がすべて沸き上がってきました。私は「買いたかったら、買ってください。しかし、自宅に電気メーターをひいて、電気料金を自分で払いなさい」と言いました。姑は怒って帰りました。学法を通じて、私は突然、師父の『転法輪』の中で説法された「心性の高さが功の高さ」(『転法輪』)という法理について悟るようになりました。事後、私は内に向かって探し、執着心の所在を見つけました。

 今後、私は正しく、しっかりと自分の道を歩みます。精進している同修と比べれば、私はまだ程遠いのです。師父が私たちに伸ばしてくださった時間を必ず大事にし、三つのことをしっかり行い、私たちの先史の大願を全うしましょう。

  2010年3月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/21/218509.html

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