■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/03/02/mh040966.html 



座禅の姿勢について

文/中国の大法弟子

(明慧日本)座禅を始めると、最初は上半身を真っ直ぐにすることが出来ますが、時間が経つと、腰が少しずつ前屈みになりがちです。気が付いてもすぐ直さず、そのままの姿勢にすると、眠気に襲われ、居眠りをしてしまいます。

 この現象は私に限らず、私よりよく修煉ができている同修でも、私と同じように座禅をすると、腰を屈めて背中を曲げていると、以前、よく考えていました。

 師父は『精進要旨二』の「道」の中で「法を学び修煉することは個人のことですが、往々にして多くの学習者は、いつもほかの人を模範と見なし、ほかの人がどうするかを見て、自分がどうするかを決めがちです。これは常人の中で身に付いた良くない行為です」といわれました。また、『転法輪』の中でも「本当はどこの誰であろうと、法は一つしかなく、この大法に従っているかどうかが、本当の基準です」と仰いました。『大円満法』の中の「動作の図解」の中でも「腰を伸ばし頚を正しくする」ように言われました。師父の要求通りに私達は行うべきです。

 煉功する度に、居眠りをしてしまう現象が長い間続いていました。内に向って探すと、この原因は、安逸を求める心があり、気持ちをよくするため、自分に厳しく要求せず、功法の要求どおりに動作をやらず、リラックスし過ぎたため、居眠りをしたと分かりました。

 安逸を求める心が日常生活の中で表れると、すぐ気付き取り除くことが出来ますが、煉功で現れると気付きにくく、そのままにしてしまうことが多いのです。

 安逸を求める心を抱えて、功法をやることは、重く言えば、大法に対して不敬を働いたと同じで、師父に対して不敬を働いたことになるのです。

 大法は非常に尊いもので、千万年を待ち続けることが必要なのに、どうして執着を帯びて煉功するのでしょうか?

 修煉者として、日常生活と仕事の中でいつも腰を伸ばす姿勢を保つことが出来れば、大法弟子の精神の良い一面を表すことが出来ます。煉功するとき、腰を屈め、背中を曲げて安逸を求めては、更にいけません。これは単に師父と法を敬うかどうかの問題だけでなく、煉功の要求に従わないと、煉功しても良い効果を得られず、煉功する意味がないではありませんか。だから、皆さんは必ず煉功の動作の要求をしっかりと守って欲しいのです。

 個人の悟りですので、妥当でないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 2010年3月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/1/219035.html

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