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内にむかって探すことで観念を変えた


文/中国大法弟子

(明慧日本)今日私は4,5年一緒に修練しているAさんとけんかをしました。

 理性的ではない状況の中で同修に対する不満を一気にぶつけてしまいました。Aさんはいつも一緒に学法や交流をし、真相を伝え、衆生を救うためにいつも外で煉功しています。しかし、私は誘われるといつも断りました。今日、私はかん高い大声で「なぜ私が行かないかって?その原因は誰かさんは自分を証明したい心があって、法理に対してハッキリせず、誰かさんは矛盾にあったとき常人と同じく、真相を伝えず、心性を高めようとせず、煉功をするだけで人々を救える事が出来るのか?どこかの地域の何人かの同修は、しっかりした実力を持ち、何度も協力して拉致された同修を救い出した。苦労を厭わず昼夜をとわず遠い地域まで真相資料を配って衆生を救う。しかし彼らの闘争心は強すぎて、互いに納得していない。自分がちゃんとしていないのに、それはだめでしょう?」と言いました。Aさんは驚いて私を見ると落ち着いた口調で、「あなたは冷静になった方が良い、もっと学法してきて」と答えました。

 Aが去ってから私の心はまだ落ちつかず、自分のどこがいけないのかを理解していませんでした。彼は自分の不足に気づくべきだと思っていました。修煉する人はどんなことに遭っても自分を探すべきだと気づいたとき、自分が間違っていたと気づきました。私とほかの同修と比べれば彼らはすごいです。修煉の人として何が足りなくても、相手の不足を見たとしても、彼らは衆生を救うことを第一位に考えて、大法が必要ならば、彼らは最後まで協力していくだろう。

 自分の内側を探し、自分の不足に気づいたとき、自分は常人の観念を変えたのだと分かりました。この文章を書くとき、自分がいつも隠していたこれらの心に気づき本当にびっくりしました。自分はいつも誰とでも仲良くなれると信じて、相手の不足を探していないだけで心性を守ったのだと勘違いして、まったく比べものにもなりませんでした。

 師父の慈悲なる救いと同修に心より感謝します。

 2010年3月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/21/218488.html

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