日本明慧
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衆生を救い、師を手伝う道を歩む(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)2006年、私は放浪生活を強いられたあと、ある県で同修の助けのもとに、工場でアルバイトを始めました。その後、速やかに衆生を救い済度する大きな流れの中に溶け込みました。

 資料センターの設立

 この県の大きな資料センターは県の大半の資料を提供していましたが、技術者が不足し、明慧ネットと連絡が取れず、ずっと明慧ネットに県の情報が掲載されませんでした。私は放浪生活を強いられる前、資料センターでの経験を少し積んでいたので、この県で同修が資料センターを作ることを手伝うことが私の使命であると思いました。

 県の協調人とこのことを話し合っていた時に、事件が起こりました。一緒に働いている同修の家族(修煉者)が迫害されて死亡しました。県の同修は大きな打撃を受けました。この事件で私は仕事を失い、修煉の環境を失いました。私の生活と安全のために、同修は私をよその土地へ送りましたが、1カ月経っても、県の同修を忘れることはありませんでした。同修が死亡した事件で、県にある資料センターに大きな影響が出ました。同修たちは明慧週刊も見られなくなり、心の落着きがありませんでした。多くの衆生が救われることを待っているので、私はこのまま県を離れる訳にはいかないと思い、県に戻りました。住まいと仕事を探したあと、直ちに同修と小さい資料センターの設立を相談しました。

 資料センターを始めたいがパソコンが全く分からない同修・甲さんと相談した後、数日後、私はパソコンとプリンターを買いました。甲さんは資料センターをやりたいもう1人の同修・乙さんを連れてきました。私たち3人が甲さんの家の地下室に資料センターを立ち上げました。

 1日目は、私がパソコンの電源のつけ方、マウスの使い方、プリントアウトなどを教えました。甲さんと乙さんはすでに60歳過ぎの女性ですが、大法弟子にできないことはないと信じて取り組んできました。師父のご加護のもとで、2、3回教えただけでプリントアウトができるようになりました。こうして初めての作業を完成しました。しかし、数日後、資料を作ろうとして、乙さんがパソコンを立ち上げると、頭が真っ白になり、何もかも忘れ、どう操作をすればよいか分かりませんでした。私は焦らず乙さんと励ましあい「邪悪はあなたの正念を攻撃し、自信をなくさせ、できないようにさせようとしている、邪悪を否定しなければならない」と言いました。私はもう一度乙さんに操作の仕方を教えながら、法理に基づいて切磋琢磨し、同時に発正念をしました。こうして小さな資料センターが正式に回転し始めました。この小さな資料センターは明慧週刊を印刷し、真相資料を作成するという重大な責任を負っています。しばらく経ってから、もう一セットの機材を購入し、資料センターを二つに分けました。甲さんと乙さんはそれぞれ半分を担当しています。

 資料センターが二つになりました。県の協調人は病気から回復し、私と資料センターを設立することになりました。私は孤立無援の困難な状況から解放され、もっと自信がつきました。私はインターネットにつなぎ、ダウンロードして、プリントアウトするまでの過程を1カ所で行いたいと考えていました。協調人は以前にプリントとコピーが同時にできる複合プリンターを買ってあげた同修と連絡を取り、一緒にすることに同意しました。協調人が人に頼んでパソコンを買い、私は故郷の同修から使っていないプリンターを借りました。インターネットに接続し、プリントアウトするまでの過程をすべて教えました。ある若い同修は学ぶのは早いのですが、プリンターにいつも問題が起こりました。私はその人と法理に基づいて切磋琢磨しました。こうしてしばらく経った後、この資料センターも安定して運営することができるようになりました。

 (続く)

  2010年3月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/13/218101.html

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