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人心を捨て去り、楽しい修煉者になる(二)

(明慧日本)囚人服を着ていないことについて、警官は数回私を訪ねて話し合いました。そのたびに私は自分がこのようにするのは全部あなたのためだと教えてあげました。常に善の心で他人に対処したため、私を困らせる人はいませんでした。あの期間中囚人に対するチェックが厳しかったのですが、所長も私が囚人服を着ていないのを見ても何も言いませんでした。後で1人に一枚ずつ紙を配って、自分の留置場に入ってからの体験を書かせました。私はこの機会を利用して法輪功の実態を人々に知らせようと思いました。私は世界各地に広がっている法輪功の状況、修煉者はなぜ真相を伝えるのか、なぜ「法輪大法が良い」と念じたら、美しい未来があるのかなどなどを書きました。書いた内容を人々に見てもらい、彼女達は全部良く書いてあり感動的だと話しました。彼女たちは具体的には理解できませんでしたが、みんなに大法弟子の善の心を感じてもらいました。

 その中で、もう一つの出来事があります。若い警官は書類を持ってきて私に署名をさせようとしました。私は従わずに断っているうちに闘争心と恨む心が生じました。これらの心は彼の悪い要素を刺激しました。彼は他の犯人に私を捕まえさせ、私は人心で彼と争いました。私は突然自分の心が純粋ではないのを感じました。私は直ちに自分を整えて、自分の不足で彼が大法に対して罪を犯すようにしてはいけないと考えました。このように考えた瞬間奇跡が現れました。彼は数歩後ずさりしながら、「見ないで、見ないで」と話しました。私は善の力で彼の背後の邪悪な要素を解体させたのが分かりました。後で彼はトランシーバーで私に法輪功の状況を尋ねました。私は彼に長時間真相を伝え、他の人もそばで静かに聞きました。この期間中、私は7人に三退をしてもらいました。

 一人の修煉者として、どんな環境に置かれていても、自分の歩まなければいけない道があり、それは内に向って探すことです。「功を修むに路有りて、心を径と為す」(『洪吟』「法輪大法」) 自分を刺激する、自分が苦しいと感じるその心を探し、法の中で正すべきです。私はまずは家族、親友達への心配を放下し、自分にちょっとした悪い念が生じたら発正念をしました。

 私は常に自分がもし労働教養所に移るなら、道中で「法輪大法は良い」と叫ぶかそれとも「法輪大法は良い」の歌を歌うかと考えました。今回は正念で接することができ何も怖くないと思いました。監禁されている21日間、私は突然分かってきました。実際自分は依然として労働教養を受けることを怖がり、労働教養所の存在を認めていました。私が怖がるとこれはずっと私の思想を制約してきます。それなら今から自分の思想の中にある労働教養所の念頭を解体して、徹底的に私の空間場から無くそうと思いました。この一念が現れた瞬間、心が明らかになるのを感じました。

 2010年3月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2010/2/21/218558.html

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