■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/03/06/mh081740.html 



修煉とは何か、如何にすれば修煉と言えるのか

文/中国の大法弟子

(明慧日本)ある火事の後、私は法輪功と出会い修煉を始め、すでに10数年経ちました。今まで修煉してきたことや大法を学んだことを振り返ってみたいと思います。修煉というものは、時の長さに関係なく、重要なことは法理についての認識と着実に師父の要求通りに心性を修めてきたかどうかです。次元の昇華、執着心の放棄、常人の観念の放棄、師父と大法に対する固い信念、これらが最も重要なことです。『転法輪』を手にすることは簡単ですが、手にしたからといって真の修煉者であるとは限りません。

 私達は皆高次元から人間界に降りて来ました。法を得て自身をよく修めると同時に、師父の正法に手伝って、衆生を救い済度して自分の本当の家に帰るのです。皆さんご存知の通り、正法の進展がすでに最後の最後になりました。この時期の修煉において、同修と私を比べると、差がたくさんあります。

 私は今になってやっと、法理とは何か? 大道には修煉の形がないとは何か? 真の修煉とは何か? 完全に常人の観念を取り除き、常人から抜け出すとは何か? 法を実証するとは何か? 衆生を救い済度するとは何か? などを本当に認識できました。

 師父は『ロサンゼルス市法会での説法』の中で「つまり、神は人類のこれらの形式をほしいのではなく、あなたにこの形式を利用して昇華してほしいのです。これらの形式を利用して昇華できれば、あなたはすなわち、法を実証し、神を実証し、衆生を救い済度しているのです」と仰いました。

  また、『至難の関から抜け出す』の中でこのように仰いました。「一人の人間が神に向かっていく修煉の過程の中で、人間が修煉しているのであり、神が修煉しているのではないため、修煉の過程で必ず間違いを犯したり、しっ かり乗り越えられない関があったりします。もちろん、大きな間違いを犯した人もいます。肝心なのは、それを認識したとき、決心してそれを取り除くことがで きるかどうかということです。抜け出す決心があれば、これこそ修煉であり、これがすなわち修煉なのです」

  私も長年修煉して、毎日のように法を学んで、大法弟子としてやるべきこともやり、立ち止まったことはなかったのですが、修煉とは何か、如何に修煉すべきかを理解できたのは、長くなかったのです。恥ずかしく思いました。長い間この偉大な宇宙大法を修煉しながら、自分がこの貴重な修煉時間を大切にしませんでした。師父の慈悲なる済度や大法と自分の世界の衆生に顔を合わせることが出来ません。それが生じた原因も簡単です。即ち、集中して法を学ばず、真に内に向って探し己を修めず、常人の観念を放棄できず、すべての執着を取り除き常人の殻から抜け出すことが出来なかったからです。

  幾度の輪廻を重ねるうち、私は骨髄まで異常に頑固な常人の理を形成してしまいました。即ち、常人の観念です。どんなことに出会っても、まず常人の観念で図り、人間の観念が先に走ってしまいます。

  例えば、寒くなると、風邪を引きやすく、暑くなると、熱中症になりやすく、心地良くなることがいいことで、逆であれば、悪いことと思い、何か手に入れば嬉しく、失うと気が沈み、綺麗な異性を見かけると心が動じるなどがあります。

  正法の中で修煉していても、人心の現れ方は様々です。外で法を実証すると逮捕され、真相を説明し三退を勧めると密告されるなどの考えがあります。このような思惟は共産党文化に長期に汚染されて形成されたものです。このような観念と共産党文化の思惟論理は、数多くの政治運動で使われた恐怖の手段から、心の中で中共に対する恐怖心が生まれました。これも私が大法弟子として、三つのことをしっかりと行い、成熟に向かっていく根本的な障碍と巨大な抵抗になりました。それは旧勢力が大法弟子を迫害する根本的な口実でもあります。

  修煉の過程でこのような観念がずっと陰のように存在していると感じ、私の正信・正念・正行に妨害と破壊の作用をもたらしました。しかし、大法弟子として、これらの観念と執着を取り除かなければなりません。

  もし、私の一つ一つの考えを法に基づいて考えれば、それが正念で神の考えであり、即ち高次元の思惟です。法に基づいていなければ、常人のままで、それは執着であり、低次元の思惟になります。もし、私が正法の修煉の中で、低次元の思惟に嵌められなければ、神の考えと正念を堅持することができ、即ち、神の状態に入り、神としてすべての神通力をもつことができます。師父の按排してくださった三つのことをしっかりやり遂げることも、より多くの衆生を救い済度することも、円満成就に到達することもできます。

  神は絶対、低次元の思惟に入ることはありません。低次元の思惟に入ると、その次元に落ちてしまい、低次元の生命となります。大法弟子として、考えが法に基づいていないと、低次元に入り、人間の状態に戻ります。逆であれば、神の状態になります。修煉において、法に基づいて出会ったことや言動を図れば、ようやく人間の観念が抑えられます。そうすると、神の考えと正念が優位に立つことが出来ます。

  例えば、長年修煉している中で、よくない習慣が出来上がりました。いつも自分を同修の上に置いてしまうのです。自分が言っていることは正しく、他人は私に従うべきだと、お高く止まる気持ちがあり、まるで自分を幹部のように思っていました。これは即ち、長年に亘って共産党文化に汚染されて形成した強い名利心・顕示心です。これらは簡単に取り除くことができません。長年形成してきた人間の理や共産党文化によって形成した観念を取り除くことが出来なければ、永遠に人間のままでいることになります。

  ある夜、私の右目に突然激痛が走り、眼球が中から外に押し出されるかのように痛み、電球の強烈な光さえ見えなかったのです。妻は怖がって子供を起こして私を病院へ連れて行こうとしたのですが、そのとき、私の脳に『転法輪』の一段落の法が一瞬現れてきました。もし、そのとき、私は常人の思惟で考えると、入院し手術をする破目になり、ただの常人になり下がってしまうところでした。ところが、私が当時思ったのは法でした。これは即ち正念であり、神の考えで神の状態です。約30分経つと、私の目は正常に戻りました。翌日になると、左の目より物がよく見えるようになったのです。

  このような経験を私は多く体験してきたのですが、一つ一つ取り上げないことにしましょう。要するに、自分の一つ一つの考え或いは言動がすべて正念と神の思惟を持ってやれば、常人の殻から抜け出すことが出来ます。勉強さえよくすれば、当然大学に上がることができると同じです。全体に協力しあい、心を込めて三つのことに精を出し、正法の進展についていけば、円満成就して師父と共に家に帰ることが出来ると思います。

  2010年3月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/4/219212p.html

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