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自我への執着を取り除く


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は、ある教育関係の私立会社に就職できました。私の仕事はインフォメーションで、学生や保護者からかかってきた電話を受けることです。私は、多くの学生や保護者達の私に対する態度があまりよくないと感じました。以前、私は学校の教師だった時は、学生と保護者達の態度が非常によかったのでした。迫害されて教師の仕事を追われた私は、気が沈んでいましたが、くよくよしませんでした。

 その後、自分自身も彼らに対する態度がよくなかったことに気がつきました。昔受けた党文化の教育で、私は私利をはかる性格になってしまい、自分に役立つ人にぺこぺこし、自分に無用の人には傲慢にしていました。

 例えば、上司に迎合してお世辞やおべっかを使うことは、知らずに身に付け自然に出るようになり、周囲の人々も皆同じようにやっているからと思っていました。自分より地位の低い人を心底から見下ろし、さらにデパートやレストランの店員までを見下したのです。

 このように人を軽蔑することは、同修との交流でも現れ、私より学歴の高い同修を見かけると、「高学歴だからといって修煉がよくできているとは限らない」と考え、逆に、自分より低い同修を「常人としてこれぐらいの能力しかないのか」と軽蔑していました。

 年配の同修を見かけると、皺も多く、話も遅い上、動作も鈍くて、自分と比べることは到底できないと考え、他の同修の平穏な修煉ぶりを見かけると、「私も同じように修煉している。ただ一回ぐらい転んだだけだ」と軽く考えていました。

 修煉の道をよく歩める同修は、あまり関門に遭わず、幸運だったからで、自分がよく歩めなかったのは不運のためだと思って、内に向かって探さず、自分の遭った魔難を心性上の問題として扱わず、ただの偶然の出来事としてしか扱いませんでした。

 表向きでは自分がよく修煉していないと言いながら、心の中では、自分に非がないと考え、毎日、三つのことをしっかりと行う同修を見かけると、「体験を話さなくてもいい、それぐらいのことは私もできている」と思い、実際のところ、まだよくできませんでした。

 このような私心は自分をきつく包んで向上させません。以前、「修煉がよくできる同修は師父が彼を啓示されたから、彼が大きな智慧を得たようになり、もし師父が私を啓示してくだされば、私も同じようになれる」と思っていました。時には、「師父はなぜ私に智慧を与えてくださらないでしょう」と考えたこともありました。

 昨日、学法のとき、「言い換えれば、どの領域にいても、あなたの技能が向上できれば、それは自分の境地を高めたあとの現れです。見た目では、あなたは良い人を目指しており、心を修めています。人間の角度から言えば、あなたは良い人になり、法を勉強し、内に向けて修煉しているから、行ないがますます良くなり、そのため、神はあなたに備えるべき智慧とひらめきを与え、勉強の中で多くのことを分からせ、さらに良いものを創造させ、もっとレベルの高い技術を身につけさせ、飛躍があるようにします」(『ロサンゼルス市法会での説法』)を拝読し、突然、私は分かるようになりました。

 他の同修はなぜ大法の活動をするとき、智慧やひらめきが出てくるのでしょうか? 心性を向上させたから、神は彼らに智慧とひらめきを与えました。

 神韻に関するある同修の修煉文章を思い出しました。彼女はある舞踊を創作するとき、前に進めることがなかなかできず、その後、自我を顕示したい執着を見つけて放棄すると、創作の智慧とひらめきが次々と湧いてきて、創作がすぐ進めました。当時、この文章を読んだ私は「1つの執着を放棄したことで、どうして創作がすぐできたのか」を、理解できませんでした。

 神韻が美しくでき上がったのは、同修の無私無我と直接つながっています。ある神韻の同修は、修煉体験の中で「他の同修の踊りが上手にできたのを見ると、自分の踊りが上手にできたことよりも嬉しい」と話したことがありました。この言葉はその無私の心の表れでした。

 中国の大法弟子は長い間、中共の党文化に汚染されており、多くの良くない言動と習慣は、気付かずに自然なものになりました。私たちは自我を中心とした考えを取り除かなければなりません。師父の要求に達し、よく内に向かって探し執着を取り除くべきで、良くないものを抱いてはいけません。

 2010年3月7日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/8/215888.html

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