利益に無頓着 得るべきものは無くならない 文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は北京市房山区の大法弟子です。ここ数年来、北京の都市建設が進み、我が家も立ち退きの対象となり、移転の補償金を貰いました。もともときつかった生活が助かると思いましたが、舅夫婦は金を握って離さないのです。数年来、苦労をして建てた家は、移転する金にはならず、本当に腹が立って、ぶつぶつ言っては舅さんと喧嘩しました。
ある日、私はどうしても納得できず、また夫と喧嘩をしてしまいました。夫は、「あんたはいつも人のことばかり言うね、学法しているんだろう。本の中にあなたの物ならば無くなることはなく、あなたの物でなければ争っても得られないと書いてあるじゃないか? 金、金って、死んでから何か持って行けるのか?」と言いました。これは師父が夫の口を借りて啓示されているのではないでしょうか、なぜずっと執着しているのかと私は唖然としてしまいました。
『転法輪』の中に師父は、利益についての心は放下しにくいと説法されています。なぜ自分にはできないのでしょうか、明らかに根本的な執着を放下していません。なぜ法に基づいて自分を律しないのか、心を静めて学法しなければならないと分かりました。この大法は金で買えるものではなく、大法が私に命を与えたのです。
私は夫と喧嘩をしなくなり、徹底的に執着を放下し、心を静めて学法し、三つのことをしました。もう自然に任せようと思いました。しかし、思いがけないことに、突然、舅夫婦が態度を変え、自ら金を持って来たのです。私は心を動じることなく、いつもの通りにしていました。
2010年3月9日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/8/219432.html)
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