14年の修煉の道(三)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)
四、大法を実証し、衆生を救い済度する
大法と師父が中共に誹謗中傷されてからも、私は大法の真相を伝えました。当時、真相資料はとても少なかったのです。中共はテレビやラジオなどのマスコミを使って、法輪功に嘘の罪を着せました。「天安門焼身事件」や「傅宜彬殺人事件」などの偽りのものを作ることによって、世人を偽り、衆生に毒害を与え、人々の中に大法と、大法の師父と大法弟子への恨みを扇動しました。私と同修はすぐに、これらの嘘に対して、「修煉者は殺生しない、自殺は罪になる」、「法輪大法は素晴らしい」、「法輪大法は正法です」などの横断幕をいくつか書き、夜に村々に掛けに行きました。
ある日、私は1人の同修と一緒に真相チラシを配布に行こうと思いましたが、行くところは往復で6時間かかるし、一緒に行く同修の家族は修煉者ではないので、家族に心配させないように、私は行く前に「早く行って早く帰りたい」という一念がありました。その純粋ではない心が、邪悪に隙に乗じられました。その日、2人が対面しても顔がお互い見えないほど霧が濃かったので、私と同修は一晩歩きました。その後、その同修は一度も私と一緒に真相チラシを配布しませんでした。
それ以来、私は1人で夜中に、十数キロのところへ行って真相チラシを貼ったり、横断幕を掛けたりしました。時々、怖く感じたのですが、そのとき、発正念や法の暗誦をしました。「師父と大法があり、誰も私を迫害することができない」と考えながら、段々恐怖心を取り除きました。師父は「恐れる心がなくなれば、つまり、あなたに恐れを感じさせる要素も存在しなくなる、ということです。これは強いて行なうことではなく、本当に平然と放下することによって達することです」(『精進要旨』「最後の執着を取り除こう」)とおっしゃいました。
時々、夜道がよく見えないとき、後ろから光が当たってきて、私の進む道が明るくなりました。誰かが後にいると思いましたが、振り返ってみても、誰もいませんでした。そのとき、慈悲深い師父が私を見守ってくださっているとわかり、涙が溢れました。そして、私はもっと精進しようと決心しました。
『共産党についての九つの論評』が発表されてから、私は同修と一緒に『共産党についての九つの論評』を配り、人々に「三退」を勧め始めました。私が最初に勧めたのは、私と一緒に成長してきた近隣のお姉さんでした。彼女は共産党党員で、共産党を擁護し、崇拝していました。彼女に『共産党についての九つの論評』を渡しましたが、見てくれませんでした。彼女は私のことを怒って、ほかの同修の前で私が共産党に反対していると言いました。もし、私と幼いなじみでなかったら、彼女は私を密告するつもりだと考えていたそうです。そのとき私は、人を救うことはとても難しいと感じました。
同修は、私に彼女の話を伝えたのは大法を損なわないように注意させるためでしたが、私は、その話を聞いて「私は間違っているのか」と自分に聞きました。そして、しばらくの間、私は家で『世間に向かって輪を回す』などの経文を勉強して、私は「師父のおっしゃった通りに従うのは間違いではない」と法理が明晰になりました。私は「三退」を親族から勧め、最初のころ親族も理解をしておらず、難しかったのです。徐々に親族たちが大法の真相を知って理解でき、共産党の組織から脱退しました。「三退」を勧めるにつれ、いくつかの経験を積みました。それから、友人から知り合い、面識がない出会った人に「三退」を勧めることができました。
私は、お昼には直接に人々に大法の真相を伝え、夜には真相資料を配布しました。紙幣を利用して真相を伝えることもありました。明慧ネットが紹介した方法でやっています。私は紙幣を持っていれば全部に真相を書きました。ある日、私は銀行に貯金しに行きましたが、それらの紙幣に真相を書き忘れてしまいました。私は銀行の机で書き始めると銀行員が首を長くして私を微笑んで見ました。私は全部書き上げて銀行員に渡すと銀行員は受け取り、貯金してくれました。
数年来、私は何回も危険な状態に臨みましたが、しかし、毎回、慈悲深い師父のご加護で無事に乗り越えてきました。
(続く)
2010年3月10日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/28/218980.html)
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