常人の観念で同修を比べない
(明慧日本)私の身の回りには社会の各階層に同修がいます。能力のある同修もいれば、そうでない同修もいます。また、ある同修は修煉と常人社会を両立させようと努力しています。
徳があるかないかで、人の一生の幸せが決まります。社会の貧困層の同修は大法に強い信念を持ちながら、物事を処理することが苦手です。これに対して、能力のある同修は貧困層の同修の行動を見て、落ち着かないといいます。時間が経てば経つほど、同修の間の一挙一動や信用の問題まで互いに相入れない関係になり、大きな隔たりが生じ、これらのすべては心性上の魔難となります。能力のある同修は常人の観念で貧困層の同修を見るので、貧困層の同修は常にプレッシャーを受け、つらい思いをしています。
私も貧困層の修煉者であり、修煉しなければ、普段の考え方と生活での魔難は、自分の業力によるもので、世の中で染み込んだ貪欲などはっきりと認識できませんでした。私は仕事が忙しくない為、修煉しながら、人々に真相を伝えることができます。しかし、できるだけ常人社会にあわせるという認識が弱く、時には怪しまれることもあります。その後、わたしは法理上で自分を正し、他人を理解しながら、協力しあうことができるようになりました。
私は自分より能力のない同修に会うとき、彼らの無力を感じました。しかし、常人の観念で同修を評価することはできません、このように考える事で、私はもっと良く同修と協調することができました。
2010年3月12日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/2/219074.html)
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