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神韻特報を配った体験


文/ドイツの大法弟子

(明慧日本)2010年3月、神韻特報が送られて来ました。私は心の中で知らず知らずのうちにこの神韻特報を配布することを軽視する気持ちが現れ、「この新聞はただ情報を提供しているだけで、チケット販売の助けにあまりならないだろう」と思いました。  

 ある週末、同修は私を誘って神韻特報を配りに行きました。住宅のポストに投函する方法は私から見て時間と労力がかかるやり方です。最初、私は何も言わずに同修について配りましたが、心の中でポスティングをあまり重視せず、何度も「堂堂としたITコンサルタントである私があなたたちに新聞を渡すことは、あなたたちにとって幸せすぎることだ」と考えていました。

 神韻特報を配る間に現れたいくつかのことは、私はポスティングに新しい認識をもたらしました。  私たちは車で目的地に行きました。最初、私は漏れなく一軒一軒の家に配りましたが、しばらくして、私はこの地区の住宅のドアが皆道から比較的遠く離れており、階段を一段上ってからドアに着くことに気がつき、確かに時間と労力がかかると思って、少し怠慢になりました。そのとき、2軒の古い住宅の前に着き、この古い家に住む人はきっと神韻を見に行かないから、配らなくてもいいと思って通りすぎようとしたところ、向こうから来たある女性がにこにこしながら私に、ここには二家族が住んでおり、ポストがここにあると教えてくれました。これは偶然なことでしょうか?師父は常人を通して私に注意してくださいました。それから、私は漏れなく一軒一軒に神韻特報を配りました。  

 しばらくしてある四軒のファミリーアパートの前に着きました。このアパートにはポストがないように見えたので、私はアパートを通りこして前に進み、向かいの住宅に配りました。アパートの前に戻ってきたとき、アパートの入り口のドアが開いていて、清掃をしている人が見え、これはまた師父の按排だと思い、清掃者に「ポストはどこにありますか」と聞きました。彼女はポストがドアの地面に近いところにあることを教えました。私はこんなポストに神韻特報を入れてもあまり意味ないと考えて配らずに前に進みました。

  しばらくして手元の神韻特報がなくなり、私は取りに行くため再び先ほどのアパートの前を通りました。そのとき、清掃をしている人はまだ覚悟ができていない私を引っぱって、指で居住者の名前の付いているベルを指しながら、「ここに四つの家族がいるよ。新聞はポストの口を通して床に置くのです」と言った後、清掃して移動した郵便物を見せてくれました。私はこのアパートがどんな重要な郵便物であっても床に置くことが分かり、すぐ4枚の特集号を置きました。これは師父が私に2回目に漏れがないようにと注意を与えてくださったのです。

 このことを通して、私は神韻のポスティングは小さなことであるように見えますが、実際は簡単ではないとわかりました。師父がこのようなことを按排して注意してくださったことは他の空間に与えた影響も小さいものではありません。神韻のすべてのことは神が他の空間で支えています。縁がある人がこのような小さい新聞を通して救われるかもしれません。神韻のすべてのことは人の観念で計ることができないため、目的を持たずに真面目に一つ一つ行えば、純粋な心から他の空間の神が手伝ってくれ、効果が大きくなります。  

 覚悟はできましたが、他のことに遭遇するとまた人心が現れました。神韻特報を配る間、暖かくて晴れていた天気が突然寒くなり、そして雹も少し降り始めました。私は暖かい服を着ていなかったため、あまりに寒くて唇が青くなりました。そのとき、予定したいくつかの街でのポスティングが終わり、私は同修に「そろそろ帰ろう」と言い、帰途につこうとしました。しかし、私たちはこの道でいくら歩いても車をなかなか見付けられませんでした。なぜ道を間違って車を見つけることができなかったのでしょうか。これは師父が私たちにポスティングが漏れた街はあると注意してくださったのです。心の中ではわかっていましたが、あまりにも寒すぎて同修について家に帰りました。  

 土曜日に、私たちは神韻特報を配っている間に天気が曇りからしばらくして晴れて来ました。そのとき、私は同修に最後の街のポスティングを頼んで、スーパーに買い物に行きました。スーパーを出ると雪が突然降り始めました。以前と同じように私は法を実証するとき、突然自分のことを優先すると、その場の状態が変り始めたのです。寒冷な天気は実際に私に苦難を経験させ、業力を取り除き、安逸の心を取り除く機会でした。

 月曜日、私は会社で今まで時間をかけてもまだ終わらない仕事をやりました。今回はたった数時間でできました。出社するときに振りかえって見ると、自分はもともと勤勉ではなく、そして大きな智慧を持っていない人間でした。一歩一歩今日まで歩んで来られたことは師父のお蔭でした。私が一歩一歩歩むことができたことは私が善良で人を傷つけず、自分が苦難を受けても後悔せず、人を助ける心があったからだと思い、涙が溢れました。

 私は師父がこんな細かいヒントを与えてくださったことをここに書き、同修を激励したいと思いました。法を正す道の中で自分の心をきれいにし、より多くのことをし、多くの衆生を救い済度しましょう。

  2010年3月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/9/219493p.html

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