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顕示心について


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は今、この都市で同修と出会ったことがなく、一人で修煉を行っている状態です。ですから、私の母(同修)とよく修煉のことについて電話で話しています。

 今日、母に電話して、「私は週末に、多くの大法の真相資料を配って、よく歩いたよ」などと、詳しい話をしようとしましたが、その話の途中で、母は「電話でそんな話はやめたほうがいいんじゃないの。自分だけが分かればいい、人に言う必要はないでしょう」と言いました。

 私は涙がこぼれて、母の話を最後まで聞かず電話を切ってしまいました。私は「こんなに悪い天気(1日中雪が降り、地面は雪が解け、すべりやすい状態になっていた)にもかかわらず、多くの真相資料を配り、褒め言葉を言わなくてもいいのに、なぜ、話を聞いてくれないのか」と思いました。

 私は一人で修煉をしているため、交流する人がなく、寂しい思いを度々しています。しかし、「母に言われたことには何かきっと訳があります。きっと取り除かなければならない執着心を持っているからであり、内に向かって探さなければなりません。勝手に電話を切った私が悪いのだ」と考え直しました。

 母に詳しく話したがるのは自分の顕示心ではないか、自分が苦を嘗めてよく頑張って修煉していることを、母に褒めてもらいたかったのです。私はいつも、嬉しいことがあると、あるいは自分が法理で何かを悟ったら、すぐに母に電話していました。そのやり方はよくないと思いながら、深く考えたことはありません。これは同修(母親)との交流だと思い、自分の執着心を見逃してしまっていました。今現在、やっとこの純粋ではない心を見つけることができました。

 まだ多くの衆生が救い済度されていないのに、自分がほんの少ししているだけで顕示するのはよくないことです。師父に随い、法を正すということは、遠い昔、自分が約束したことを果たすためで、その責任を負うべきです。当たり前のこと、基本の基本を行っただけであり、顕示することではありません。多くの同修が、寒い日でも暑い日でも、昼も夜も、敏感な日でも敏感でない日にもかからず、衆生を救い済度することを良く行っていますが、自分のことを見て、本当に恥ずかしくなりました。

 師父が正法の時間は少なくなっているとおっしゃいました。この残りの時間に私たち大法弟子は、もっと大法のことをよく行い、よく法を勉強し、正念をより強くし、より多くの衆生を救い済度できるようしなければなりません。

 最近の少しの悟りですが、不適切なところは同修の慈悲なご指摘をお願いします。

 2010年3月18日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/18/219975.html

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