法を正す修煉の中で旧勢力を否定する(四)
(明慧日本)私は次のように行いました。まず正念を持ち、口を開くのです。後はタイミングと状況に合わせて「三退」を勧めました。世の中の真相を知らない常人の疑問を解いてあげるのです。例えば、無神論の宣伝(中共の宣伝)に深く毒害されている現代の若者に、神や鬼と話せば相手が信じないので、この場合、まずは人権問題や法輪功修煉者たちの道徳から話し始めました。
相手が興味を示したら、実は神も鬼も一つの次元の異なる生命の形であることや、世界で未だにまだたくさんのことが謎のままであること、例えばエジプトのピラミッドなどをあげて説明し、現実の目の前にある利益を追求し、中共と歩調を合わせて利益だけを追求している人に対して、命はいかに重要か、健康はお金で交換できないこと、目の前の利益ではなく将来を考えなければならないことを説明し、目の前のわずかな利益のために自分の将来を失うことは惜しい事だと話します。
特に、中共の現在の発展はバブル経済であり長く続かないことや、我々の子孫の資源と環境まで犠牲にして発展を遂げている事実を話します。私は普段真相資料をよく読んで、有効に使っています。師父の支えのもとで知恵が開き、話すことができるのです。
後は、自分がよく修煉しないといけません。自分が最も重要な真相そのものだからです。世の中の常人は我々の様子、行為、道徳を見て、法輪功は素晴らしいと分かるからです。私は1969年に生まれ26歳から修煉して10数年が過ぎました。私の心と体は26歳のままで、体重は標準で、修煉するまではとても痩せ型でした。顔にしわ一つなく、つるつる光っています。買い物に行くといつも妹、妹(地元では女の子を妹と呼ぶ)と呼ばれます。娘と一緒にいると、周りは信じ難い目で見つめて、「彼女は本当にあなたのお母さんなの?」と聞かれます。私が実際の年齢を教えると、みんなは、信じられない、結婚していないように見えると言うのです。
数年前、真相を伝えるとき、たくさんの人が「法輪功」と聞いただけで、すぐ顔が真っ青になり、怖がって緊張が走りました。これはすべて、中共のテレビ、新聞が繰り返して嘘を放送し、デマを流したからです。以前、私の近所の人も同じで非常に怖がっていました。しかし、私の優しい明るい態度に徐々に心の中にあった恐れを解くことができました。その後、この一家は「三退」を決意して、現在とても明るく生活しています。
ある人は最初は大法に強く反対して受け入れようとはしませんでした。テレビなどで流すデマと嘘の宣伝を信じて、自分の故郷では誰々が法輪功を修煉してから亡くなったとか、自殺したとかを自分の頭で考えず、テレビや新聞の記事の通りに言っていました。そのとき私は「私は法輪功を修煉して今年で4年目です。以前の様々な病気は現在お金をいっさい使わず全部治りました。今、化粧品すら使っていません。私が健康でないように見えますか? 精神的におかしいように見えますか? と聞くと、相手はあなたは本当にこの年齢なの? と不思議そうに聞いてくるのです。私は「もちろんですよ」と答え、相手の疑問を解いたら、相手は大法の素晴らしさを信じ、大法を尊敬する気持ちが生じるのです。
(四)資料拠点を作り、協調をはかり、より多くの人に真相を届ける
私は以前からずっと地元の調整役です。資料を届け、資料拠点との連絡、皆を組織して中共に強制連行された同修を救うなど、迫害の被害を受けた人々の情報の収集などをしています。資料拠点では同修を手伝い、CDの作成、資料の編集、文章の訂正など様々な仕事も手伝いました。しかし、資料拠点は時々中共に襲われ、しばしば同修が連行されました。私はどこが間違っているのかと思いました。そこで、私が分かったのは、資料拠点は比較的非常に閉鎖的空間であり、仕事量が重いので、気をつけないと普通の人のように自分をみてしまい、人心が生じてしまうことが、主な原因であると分かりました。
この問題を解決するために、根本から旧勢力を否定し、資料拠点とネットで真相を伝える拠点をたくさん設立する必要があります。誰もが調整役であり、誰もが連絡役であり、みんなで一つの形になり、まとまった形を作り、散らばった一人一人が大法の「粒子」になったら、旧勢力はどうしようもないのです。最大限に常人の社会状態にあわせて資料拠点を運営すれば、邪悪の中共はそこに焦点をしぼることができないのです。
2005年私は同修と結婚しました。結婚の翌日、2人で隣の省まで出かけCDを書き込む器械、ノートパソコン、プリンタも買って家庭内の資料拠点を立ち上げました。同修である夫の助けで、多量の真相資料をプリントし、DVDをたくさん作成しました。続いて、プリンタとCD書き込み機をほかの同修に譲り、自分がこの資料の元になるオリジナル資料の研究、編集に着手しました。真相の小册子、チラシ、貼るための糊、護身符などの研究にも着手しました。新しい技術を研究して周辺の県の同修に提供し、広げ、技術から消耗品まで提供しました。同修を手伝い、ネットで「三退」をした人々のリストに送信したり、体験文章を書いたり、原稿を作ったり、もっとも難しい仕事にまで踏み込んだのです。
この数年、地元のネット拠点と資料拠点がどんどん増え、真相を伝える方法も多様になり、衆生を済度する力がますます強くなりました。ここまで書いたのは、師父に「ありがとうございます」と申し上げたかったからです。しかし、こんな簡単な言葉で私の命を救ってくださった師父に私の感謝の気持ちを表すことはできません。私のすべては師父が与えて、支えてくださったからできたのです。師父に両手を合わせてお礼を申し上げたいと思います。
(完)
2010年3月19日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/13/219720.html)
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