■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/03/20/mh231893.html 



名利を求める心を修める

(明慧日本)私は名利を求める心がとても重い人でした。1999年に修煉を始め、修煉して長い時間が経過しても、お金に対する執着を捨てることができませんでした。たまにこの心が捨てることができないことに悩み、さらにそれが大法にマイナスな影響を及ぼしてしまいました。

 師父が『ヨーロッパ法会へ』で「意気地のない学習者」に対しての説法に驚きました。これは私に言っているのです。私は落ち着いて考えました。「修煉したいかそれとも常人になりたいか」と自分に質問しました。答えは修煉をしたいのです。さらに「修煉すべき常人の心を放棄しないのか、なぜそんなに重く見るのか、大法弟子がすべきことをしているか、捨てるべき心を捨てたか」と自分に問い詰めました。

 私は自分に、修煉を選ぶなら、常人の良くない心を放棄し、捨てるべきで、修煉は師父と大法の要求に従い、三つのことを行う必要があると言い聞かせました。

 衆生を救い済度するには、まず学法をしっかりと行うことで、三つのことをしっかりと行うことができると考え、師父の各地の説法を整理し、繰り返し読みました。その結果、心性が向上し、法理に対してはっきりと認識することができ、人心は以前より重く感じませんでした。そして、なぜ執着を捨てることができなかったかがわかりました。考える基点が間違っているからです、以前は個人の円満のために修煉していると考えていました。これは私心ではないでしょうか。師父がなぜ私たちを大法弟子、さらに正法時期の大法弟子と呼んでいるのか。それはほかの生命のためだからです、執着を捨てることは衆生を救い済度するためで、向上は正法過程についていき、正しい念を持ち正しい行いを持って邪悪を解体することができ、邪悪が生きる環境を与えないのです。人心があることは邪悪が生きる環境を作ることになります。修煉することは宇宙の大法と衆生に責任を持つことだと考えるようになると、無条件に内へ向かって探すことができます。頭の中によくない観念とお金に対する執着が現れたら、正念を発してよくない考えを滅します。

 たとえば、私の甥は三歳になったばかりのときに母親を亡くしました。それから甥を非常に好きになり、それがだんだんひどくなり、自分の子供以上に可愛がっていました。毎日電話で甥と会話し、数日に一回は会っていました。これは親心に対する執着であることに気付いてから、邪悪に弱みをつかれ、衆生に被害を与えることがないように制圧し始めました。

 二日後、甥の目が腫れ、病院に連れてきてほしいと弟から電話が来ました。私は電話を切った後、心はとても落ち着いており、何も考えずに心で邪悪に「あなたたちの試練を認めない、私は法理上ですでに自分の執着を悟ることができ、それを法理に従い正すことができる。なぜなら、大法はそれができる威力があるからです。あなたたちの私と私の親戚に対する迫害を認めない」と言いました。

 私はすぐ弟に電話をかけ、「大丈夫です、たぶん何かを食べてアレルギーになったのかも知れないので、クリニックに行って診てください」と言いました。弟は納得いかず、どうしても病院に行きたいと言いました。私は思いました。もし病院に行ったら邪悪の妨害を認めることになる。私は心が動じず、病院に行かないと決心しました。しばらく経った後、弟から電話が出ました、「もう大丈夫です。検査で何かのアレルギーだそうで、病院に行かなくても大丈夫です。薬を飲めば治る」と言いました。このように邪悪が親心を利用して私と衆生を妨害する要素が自滅しました。

 修煉は厳しく真剣に向き合うべきで、いい加減にしてはなりません。まだ多くの不足はありますが、必ず精進して着実に修め、三つのことをしっかりと行い、努力を尽くして衆生を済度します。意気地のない学習者をまだ見捨てない師父に感謝し、文書を書く勇気を与えてくれた明慧の同修に感謝します。同時に明慧と同修が全体を形成していることを感じとりました。全体のエネルギー場はいかなる場合でも破壊することができません。

 2010年3月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/20/220105.html

明慧ネット:jp.minghui.org