河南省:法輪功修煉者は長年の迫害に耐え切れず死亡
(明慧日本)河南省杞県の法輪功修煉者・梅春富さん(63歳男性)は、1999年7.20に法輪功への弾圧が始まってから現在まで,
7年間の歳月を留置場、労働教養所で過ごし、命の危機に直面したこともあった。釈放後も、地元の警官からいつも嫌がらせ、威嚇を受けていた。その結果、2009年に死亡した。
梅春富さんは修煉する前、多くの病気を患っていた。法輪功の修煉を始めた後、人として生きる道理を理解し、常に真、善、忍に従い自分を厳しく律するようになった。彼を知る人はみな善良な人だと言っていたという。修煉を始めてしばらくしてから、病気が全快し、家族全員が法輪功の奇跡と超常に恩義を感じた。
1999年7.20以後、法輪大法は迫害をうけ、師父は批判を受けた。梅春富さんは自分が法輪功を修錬してからの身体の変化と大法の素晴らしさを政府に伝えようと、1999年10月、強い信念を持ち北京に向かう列車に乗った。しかし、政府は国民に真実を言わせないように、公安局の警官が梅春富さんを連行し、地元の留置所に拘禁した。
拘禁中、梅春富さんは重い足かせをかけられ、殴ったり蹴ったりされ、独房に入れられ、水を飲ませられないなどの迫害を受けた。自分の信念を堅守する梅春富さんは転向を拒否したため、手足を一緒に縛られ、立つことも座ることもできず、腰が曲がったままで、非常に痛かったという。ご飯を食べる時も手錠を掛けられたままだった。警官に法輪功の真相を伝えたために独房に15日間監禁された。水さえ飲ませてくれず、極度に喉が渇いた梅春富さんは肥だめの水を飲むしかなかった。この監禁で、肉体的、精神的に、言葉で表現することができないほどの大きな打撃を受けた。
2000年5月、梅春富さんは再度法輪功の真相を伝えるために北京に行った。しかし、公安局に連行され、地元の留置所に半年拘禁された後、労封労働教養所に3年拘禁された。
3年後に釈放されてしばらく経った、2004年3月16日、親戚の家に行く途中で、法輪功の真相を伝えたため、告発された。すぐに公安局に連行され、労封労働教養所に3年間拘禁された。
2006年の秋、労封労働教養所は、法輪功修煉者・張扎根さんが迫害され死亡した事件で、国際調査機関の調査を恐れたため、労封労働教養所の法輪功修煉者を全員許昌労働教養所に移送した。梅春富さんも許昌労働教養所に移送され、非人道的な迫害を受けた。
許昌労働教養所から釈放された2カ月後、また公安局国家保安大隊に連行された。事件は、2007年2月7日午後に起きた。警官・劉宏涛が「許昌労働教養所に答礼訪問しに来てください」と偽り、梅春富さんとその家族は、警察の虚言に騙され派出所を訪ねた。派出所に行くと、劉宏涛は「法輪功に対する考えが転向されてないため、刑務所に戻る必要がある」と一言残し、再び梅春富さんを杞県留置所に拘禁した。
心身がまだ回復してない梅春富さんにとっては泣き面に蜂という事態に、断食をもってこの迫害に抗議した。10日間の断食で、身体は極度に虚弱し、顔が別人のように変わりはて、歩くこともできなくなった。これを見た杞県留置所はこのままではどうなるのかわからなかったので、責任をとらされるのを恐れ、梅春富さんの家族に梅春富さんを家に連れて帰るよう知らせた。
家に帰った後、地元の派出所の警官がいつも家に嫌がらせに来て、家では安らかな日々を過ごせないでいた。梅春富さんは長年、政府から迫害を受け、精神的と肉体的に極度の被害を受け、耐える限界を超え、その結果、重病にかかり、2009年に無実の罪に泣き、死亡した。
2010年3月20日
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/3/19/220042.html)
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