自分を修めることについての感想
文/中国の大法弟子・如初
(明慧日本)最近、身辺でいろいろなトラブルがありました。
まずは家族である同修・甲さんと大きな摩擦がありました。甲さんは私の中でずっと徳が高い人だと思っていましたが、最近ある時期、甲さんは人に理解できないようなことがありました。私は毎日仕事をして、家に帰る途中で野菜を買い、家でご飯を作っていました。甲さんは私が作った料理について指摘したり、私の欠点を裸にして言います。また法を実証することについて、私が一緒にやると態度を表明しないだけですぐに怒ってしまいます。ある日もめているとき、私は怒って「あなたは内へ向かって探していない、功が伸びる二つの要素のうち一つでもなかったら上がらない」と言いました。トラブルが来て心性を守れないときは外に向かって見ているので、相手が間違っていると感じ、なぜ相手は人に言われるても受け入れないのか、自分は人に言われたくない心は全くない、誰に言われても怒らないと思いました。
法理では、私たちがトラブルに遭ったら双方が内へ向かって探すべきだと分かっています。相手の不足が見えても内へ向かって探し、自分にも同じ心があるのではないかと探します。落ち着いて自分の不足を探すとき、奥深く隠れている他人に言われたくない、自分ですでに意識することができない心を発見しました。なぜなら、女性として毎日働き、家に帰ったらご飯を作り、家事を一人でこなしているので私の文句を言うべきではないと思っていました。指摘されたとき、私の心のバランスが崩れ、不満が頭にきます。実際は他人に指摘されたくない心の現れです。
相手も修煉者ですから、私が指摘すると相手も聞き入れ、情があることに気づき、修煉の不足に気付きます。その時、私は笑って「師父はこうおっしゃいました。『この過程にすぐにまた間違いを起こしてしまう人がいるかもしれませんが、気落ちしないでください。師父はあなたが修煉の過程にいると分かっており、最終的に正しく対処するようになり、これは修煉過程の中のことです。しかし、あなた自身は緩めてはいけません。』(『マンハッタン説法』)、私たちは努力すれば大丈夫です」と言いました。
会社では、同僚の劉さんと仲が悪くなりました。彼女が担当するはずの仕事を、私は進んで一部担当することにしました。その結果、私が一人で仕事をしているとき、彼女はパソコンゲームをしていました。私は少し納得がいきませんでした。仕事を効率的にするために彼女にある提案を出しましたが、彼女はあなた一人でやってくださいと言いました。私はただちに内へ向かって探すことを考えました。自分が仕事で他人に言われたくないことがあり、無意識に自分を高く評価していました。またある時、自分を厳しく律していないので、同僚が自分についてあれこれを言うとき、口では言わないが心の中で他人に対して不満を抱いていました。自分が修煉者として、常人同士が誰かと仲良しだったり誰かと仲が悪かったりするのは業力の転換であると分かっています。それでもなお常人と同じく是か非かを争うのですか? 悟った後、同僚の劉さんの態度が直ちによくなり、すべては雲のように消えました。
師父は『大紀元会議での説法』の中でおっしゃいました。「修めることはすなわち、自らを修めることで、実はこういうことです」 私たちは満足にいかなかったり、不満に思ったりするいかなる時でも、内へ向かって探し、自分を変えれば、解決できない問題はひとつもなく、環境が変わるのです。
修煉についての感想です。間違っているところがあれば慈悲なる指摘をお願いします。
2010年3月21日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/18/219974.html)
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