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法を暗記する体験


文/海外大法弟子 宇晗

(明慧日本)私は2年前に法輪大法を修煉し始めましたが、ずっと精進していないと感じていました。その原因を探してみると学法が足りていない事に気付き『転法輪』を暗記することを決心しました。一年掛けて今では第八講まで進んでいます。

 これから私の体験を話して、皆さんと交流したいと思います。正しくない所があればご指摘をお願いします。

 一、師と法を敬うこと

 私は中国語フォントを表示できる携帯電話を持っています。暗記するために私は『転法輪』を一講ずつ独立に携帯電話の中に保存して、歩くときや、運転の暇、寝る前、ご飯の支度、仕事の合間、子守りの時などすべての時間を利用して法を暗記しました。

 しかし、法の内包を悟れず、長い間同じ次元のままにいました。最近やっと分かったのは、私が大法の保存方式を変えており、一つの文章を切り取って保存する方法は大法の本を切り離して数冊に変えるのと同じ事をしているのに気付きました。これは大法に対して失礼です。データー上に存在する大法の本は他の空間に表現された形よおび威力は印刷された本と違わないはずです。私は近道を求めて、大法に対して無礼な事をしました。だから大法の深い内包が現れてくれません。ここまで悟って、私はすべてのデーターを消して新たにダウンロードした大法の本をそのまま保存しました。

 同修の交流文章の中には、学法の前に手を洗い、双盤、姿勢を正し、飲み食いをしない、学法の時の身なりも法と師への敬意を考慮しなければならないといろいろ話しています。私はパソコンと携帯を通じて学法して、上の部分を軽視しました。「しっかりと修める人は求めることに執着することなく自然と得るのですが、一切の功、一切の法はすべて本の中にあって、大法(ダーファ)を通読すれば、おのずと得ることでしょう。 学ぶ人は自然に変化して、反復、通読すれば、すでに道の中にいます。 師には必ず法身があって静かに護っていて、常に保てば、いつの日か必ず正果が得られるのです。」(『精進要旨』「師を拝む」)

 すべての弟子には師父の法身が付き添っておられるため、新しい修煉者も学法の時に師父と一緒にいると思いました。こうして、学法の時に私はいつも師父が説法されていると想像して、どうすればよいのかを分かったら随時に行います。

 二、どんな心理で法を暗記するか

 「知識人が大法(ダーファ)を学ぶにあたっては、ある最も突出した問題に注意するべきです。 つまり、普通の常人が理論的な著作を学習する方法で学んで、即応する名人語録を選んでは、自らの行動に照らし合わせるように学んでいるわけですが、これは修煉者の向上を阻害しているのです。」(『精進要旨』「法を学ぶ」)

 私は法を暗記するとき、中の一部分を例えば先史文明や、竜舌蘭(りゅうぜつらん)、西洋医学の歯を抜くなどの部分を、自分が重要ではないと愚見した部分を適当にして、いつも一段落一段落で覚えるのに対して、これらの部分を大体で、覚えていました。同法に対して私は恐縮しながら読むべきであるのに、大法に対して批判したり、重要か不重要かで判断してはなりません。ここで私の分別心、焦った心理、安逸心などが分かりました。

 「 また一部の人は、大法(ダーファ)に非常に深い内涵(ないかん)があり、異なる次元の修煉を指導できる非常に高いものが含まれていると聞いて、一字一字を詮索(せんさく)していきましたが、結局、何も見つかりませんでした。」(『精進要旨』「法を学ぶ」)と師父が説法しておられました。

 私は小学生から大学院卒業まで、本を読む時に読みながら考える癖を付けました。修煉してからは大法以外の本を読まなくなりましたが、ずっと法の中にもっとも深い法理を探し、学法しながら考えて、心を静めず、学法と暗記に大きく妨害しました。数日前に、『転法輪』を暗記した時に、一段落の「常人の中のことに手を染めたので、常人の法と高さを同じくしなければならず、常人の状態と同じ次元にいなければならないので、その治療効果も病院のと同じでなければならないのです。ですから治療効果が駄目になったため、治療するのに幾つかの治療過程が必要だとか言い出します。だいたいそうなります。」(『転法輪』)部分をなかなか覚えられませんでした。よく内に向かって探したら、自分は法を暗記するのを常人の宿題にして、常人の知識の経験を生かそうとした為、当然なにもできないと分かりました。

 これからは、私は求める心を無くして、法を暗記し、時間の長い短いことを気にせず心を静めて行います。そして、固定の観念と後天の習慣を打破して、神聖な気持ちで法を覚え、逐一で行います。「静にして思わざれば、玄妙を見る可し」(『洪吟』「道中」)真に努力いたします。

 初めての投稿なので、次元に限りがあり、正しく無い所があればご指摘ください。

 2010年3月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/26/218760.html

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