内に向けて探し、精進して着実に修煉する(一)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は13年間、法輪大法を修煉しました。最初は平和な時期に修煉し、1999年7.20以後、残酷な迫害を受け、迫害に反対する環境の中で修煉してきました。師父の導きとご加護の下で、今日まで確実に歩むことができて、数え切れないほどの体得があり、どこから書けばよいか迷ってしまいます。考えた末、グループ学法の環境の中での修煉体験の2点について書くことにしました。
一、内に向けて探し、精進して修煉する
師父は経文の中で次のようにおっしゃいました。「皆で一緒に法を勉強することは私が皆さんのために切り開いた環境であり、皆さんのために残した形式です。やはりこのようにすべきだと思います。なぜならば、これは実践してきたことであり、このような修煉が学習者を最も早く向上させることができるからです。自分一人で修煉していれば、あなたの向上を促進する要素はありません。大法弟子として、師父の言うように行うと皆さんは言ったのではありませんか? 大法弟子として歩むべき道を正しく歩まなければならないのだと言ったのではありませんか?」(『アジア太平洋地区学習者会議での説法』) 師父はこのようにはっきりと説法されました。私たちはこの環境を大切にし、自分を高めるチャンスを失ってはなりません。
ある土曜日の午前、私たちはいつものように、師父の『ロサンゼルス市法会での説法』を学ぶことにしました。グループ5人が全員そろい、経文を準備していていたとき、同修の甲さん、乙さん(姉妹)が言い争いを始めました。2人はお互いに譲ろうとせず、言い争いを続けました。私たちは気にとめずいつものように学法を始めました。学法を終えてから私は2人に、先ほどはなぜ争っていたかと聞きました。
甲さんは言いました。「私は何回も妹に言ったのよ。それでも妹は、全然心に留めない。ここの学法環境は素晴らしいのに、大事にしないのよ。私は仕事をしているから、休みのときしかグループ学法に参加することができないのだから」と話しました。乙同修は他地区に住んでおり、グループ学法の環境がなく、妹が家に来たときはグループ学法に参加するのです。今回、妹は家に来ているにも関わらず、グループ学法に参加しようとしないので、諭したのです。
その場にいた同修は、甲さんの情と焦る人心があることが分かり、問題の所在を指摘し、その人心に関係のある法を学びました。実のところ、甲さんが間違っているかというと、間違っていません。では、なぜ乙さんは受け入れないのでしょうか? 甲さんは学法や交流を通して、自分の話し方が情や焦る心によるものと認識し、乙さんも内に向けて探し始め、自分の不足を見つけました。そこで私は甲さんにさらに他人のことが気に入らず、自己を顕示し、自己を実証する心が存在していたことが分かりました。
師父は説法の中で、両者にトラブルが発生したとき、第三者としてそれを見たときでも内に向けて探す必要があると言われました。彼らの問題をなぜあなたに見せたのでしょうか? それは、あなたの修煉の昇華と関わりがあり、でなければあなたの身近で発生することはないはずだという法理がありました。私は内に向けて探し、最近、自分の身近に発生したことを思い出しました。
事の初めはこうです。姉(同修)は夫(常人)が経営しているブティックでアルバイトをして数年になりますが、2人はよく協力し合い、仕事をよくこなしました。しかし、最近になって2人の間にトラブルがあり、お互いに非難して咎めています。夫は私に姉の悪口を言い、姉は夫の悪口を言いつけてくるのです。
私は姉に言いました。「師父はこのようなことについて分かりやすく説法してくださいました。修煉者が常人とトラブルを起したときは、100パーセント修煉者に問題があるという説法があります。修煉者として常人から非難されていいのですか? 問題はトラブルが起きたとき外に向かって常人の悪いところを探すことです。これは修煉者としての状態でしょうか?」 私は話しているとき感情がたかぶっていたので、当然姉は受け入れようとしなかったのです。そして2人のトラブルはますます大きくなりました。
そこで私は内に向けて探して見ました。先ほど甲さんに見た執着心は、まさに私の顕示心、自己を実証する心、他人のことが気に入らない心をなくすために見せていただいたのではありませんか? ここまで考えたとき、頭に「思想の中でよくない物質やこの物質を形成した要素を徹底的に解体する」という一念が生じました。すると頭が瞬時にすっきりして、夫と姉のトラブルも解決したのです。
(続く)
2010年3月25日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/5/217594.html)
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