大事にして、最後までやり抜いて
文/中国の大法弟子
(明慧日本)年が明けて、中学校の同窓生の蘭さんと珍さんは、30年ぶりに会った平さんを連れて私の所に来ました。互いに感無量で、私は心で師父がまた縁ある人を連れてきてくださったと思いました。
十数年前、平さんは軍隊の司令長官の息子と結婚した、と蘭さんから聞きました。会うと、平さんは何回も私の状態が良い、自の想像と全く違うと話してくれました。私は笑いながら、師父に加持をお願いし、その後、自分の思想の良くない要素を取り除きました。このとき、母も傍で発正念をしていました。
私は、単刀直入に話しました。「今、法輪功を学んでいるので、こんな良い状態を保っています。もし大法と師父に出会わなかったら、十数年前に罹った不治の病で今も生きているのは無理で、あなたとも会えません」
私は彼女に自分が罹った病と苦しみを話し、最後に絶望の中で幸いに大法に出会った全過程を話しました。その後、私達は縁があって、慈悲なる師父が善良な人を私の所に来させたのは、あなた達に法輪功の実態を知ってもらうためだと教えました。「今回の劫難で、『法輪大法好、真善忍好』の9文字を覚えたら自分の危険を逃れることができるのです。自分の家族と友人にも話して欲しいのです。テレビで法輪功を中傷する宣伝を信じないでください」と話し、なぜ三退をするのか、わけを教えると、蘭さんは数年前にすでに脱退したと話しました。
平さんはうなずいて、その後9文字をもう一回聞きました。私は法輪功の実態が書かれているカード、2009年神韻公演のCDを3人に渡しました。みんな喜んで受け取り、カードの9文字を一遍一遍読みました。生々世々の輪廻の中で、世の中の衆生はみな大法のため来たのではありませんか?
同窓生の興味が深まり、法輪功をめぐる話も多かったのです。珍さんはまず彼女が接触して深い印象が残った法輪功修煉者・袁江さんの話をしました。「あの時、私が勤めていたホテルで数人の重要な法輪功修煉者を監禁しました。袁江さんは清華大学(中国で最もランクの高い大学)を卒業しており、彼が読んでいる本はほとんど英語版でした。当時、毎日彼を訪ねる人がいて、彼は法輪功に対する信念が確固としていました。並の人ではなし遂げることができない、理解を超えた固い信念でした。たまに彼を訪ねる人がいないとき、彼は私達従業員と囲碁をしました。彼は何でも知っていて、本当に天才でした。口数は多くないのですが謙虚でした。今はどうなったのでしょうか?」
「迫害されて亡くなりました」と、私はそれ以上話せませんでした。珍さんは「あっ」と声をあげて何も話しませんでした。このとき母が話を続けました。「彼は法輪功の修煉を諦めないため、中共と彼の上司は彼に圧力を加え、彼は会社から追い出されました。後で他人の誣告(虚偽の事実を言い立てて、他人を罪におとしいれようとする)でまた監禁され、610弁公室と公安の人に苦しめられたのですが、袁江さんは依然として警官に法輪功の実態を伝えました。これらの警官らは完全に人間性を失い、もっと凄まじい拷問をしました。袁江さんは驚くほどの意思と信念で610弁公室から逃げ出し、近くの同修の家に行きましたが、重傷のため数日後に世を去りました」
「なぜこんなに残酷なのでしょう」と蘭さんは悲しい顔で話しました。「これは本当なのですか。テレビでは何の報道もなく、私は政府が法輪功のことにずっと前にすでに関係なくなったと思いましたが」と、平さんは疑いの目で聞いてきました。「これが中共の手口で初めは公に迫害し、その期間が長くなり、後は密かに法輪功の修煉者を迫害してきました。今まで数十万の大法弟子が不法に労働教養を受け、数万の大法弟子の臓器が生きている状態で取られました。この罪は天地を驚かせるもので、天が中共を滅するのは当然のことです」私の話が切れたところで、珍さんは「そうですよ、中共がなくなるのは一番いいことです。これ以上人が迫害されてはいけません」と話しました。
同窓生たちは帰る前、私と母に「大事にして、最後までやり抜いて」と話し、私は感動しました。私は世の人が真相を知ったあとの、大法に対する敬服の心を感じました。
2010年4月6日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/30/220682.html)
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