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同修との隔たりをなくし、嫉妬心を再度取り除く

(明慧日本)私は迫害されたことによって、その後「流浪生活」を強いられ、ある都市で同修のAさんと出会い、Aさんの紹介で一緒に仕事をすることになりました。長く一緒に仕事をすると、お互いによく知り、家族のようになりました。私たち2人は、常人とトラブルが生じたときは内に向けて探すことができるのですが、2人の間に何かあると、お互いに相手に対して、修煉者だから内に向けて探すべきと思うのです。それが長く続くと、そのことについて論じるようになり、顔が赤くなるまで言い争い、お互いの是非がはっきりするまで論じ続けるのです。

 自分が向上するに連れ、この状態はいい状態ではない、相手の問題を見つけたときは、その問題を自分に照らす鏡にするべきであると分かるのですが、内心ではAさんと同じ問題があると認めようとしませんでした。時には相手を認めようとしない気持ちで、Aさんと交流するのですが、結果はお分かりでしょう。

 Aさんとのことについて、忍耐できないときは、ほかの同修に話すときもあり、話した後は自分が口を修めていないことに後悔するのですが、しかしほかの同修と出会ったとき話したくなるのです。

 私はAさんとのトラブルの原因の所在が分からず、根本的に問題を解決しておらず、このまま続けていくことは、決していいことではないと考えました。ある日、私は同修Bさんの家を訪ね、私とAさんのことについて交流しました。Bさんは「この問題は嫉妬心によって持たらされ、潜在意識に自分はAさんよりよくできていると思い、あなたが見たAさんの問題は、実はあなたの問題です」と話してくれました。この話を聞いた私は驚きました。Bさんが話した言葉は多くなく、声も大きくもなく、しかし私が聞いた一文字一文字が爆弾のように炸裂し、私の心の奥底に隠れていた執着心「嫉妬心」を爆破したのです。私には嫉妬心があるとは思いませんでした。嫉妬心は自分より偉いと思った人がいるときに生じるものと思いましたが、そうのような状況でないときも嫉妬心が生まれるものです。

 このとき、師父がおっしゃった法理が脳裏をよぎりました。「なにが気功師だ。言っているのは俺が聞きたくもないことばかりだと認めようとしない人もいます」(『転法輪』)そうです、Aさんが絶え間なく話しているときは、Aさんが自分を顕示していると思い、聞きたくなくなるのです。なぜ聞きたくなくなるのでしょうか? Aさんが話したことは法理に適合していない、言い換えれば自分が話したことこそ法理に適合し、修煉がよくできているということではありませんか? 潜在意識に、自分はAさんより偉いと思っているからAさんの話を聞きたくないのではありませんか? それは一種の顕示心、自己を実証する心ではありませんか? 師父がはっきりと法理で示してくださり、同修たちもこの問題について交流したことがあり、それでも私は認識できなかったのです。

 Aさんに顕示心があると思っていましたが、自分にも顕示心があったのです。法を実証する中で、私はいつも師父のご加持を感じるとることがあるにしても、これらは大法が与えてくださったということを自分に言い聞かせ、執着心が生じではないようにしました。しかし、同修が自分を褒めてくれるときはやはり気分が良くなり、これが顕示心、自己実証する心ではありませんか? ただこれらの執着心が心の奥深くに隠れていたため、発見できなかっただけなのです。

 師父は次のようにおっしゃいました。「嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱(ぜいじゃく)なものになります」(『転法輪』)人のことが気に入らない、人の是非に執着し、他人の不足をよく口にする、これらはすべて嫉妬心なのです。そして、嫉妬心から顕示心や自己を実証する心が派生されるのです。師父がおしゃったように「誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体は間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手を要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」(「マンハッタン説法」)この法理はまさに私のことを指しているのではあり、全身に冷や汗が出ました。同修は真に自分の鏡であり、自分の隅々まで照らされ、どんなに執着心を隠そうとしても無理なことで、はっきりと映し出されるのです。私は毎日のように法を暗記してきましたが、法理を持って自分を照らす方法が分からず、照らそうとしなかったのです。

 私は一念を発しました。徹底的にこの良くない物質を取り除き、執着心を取り除くように。ちょうどこのとき、Aさんから電話がかかり、私はAさんの声を聞いたとき、申しわけない気持ちでいっぱいでした。私の執着心によって、Aさんの向上を妨害しました。私のねじれによって、周りの同修とのねじれをもたらしたのです。

 実はAさんには多くの良いところがあり、自分の執着が自分を迷わせてしまいました。Aさんは「三退」を勧めることがよくできていて、雨の日も風の日も休むことなく「三退」を勧めているのです。それから、物事に対して熱心に行い、寛容なうえ度胸があり、同修のことを自分のことのように思ってくれるのです。次にAさんと会ったとき、2人の隔たりがなくなったことを感じ、お互いの修煉体得を話し、すでに修煉を離れた昔の同修がどうすれば修煉に戻れるのかを相談し合い、衆生を救った後の喜びを分かち合ったのです。

 師父が苦心して按配してくださったことに感謝するとともに、私のような愚鈍な弟子が師父に心配をおかけしたことを、お許しください。合掌

 2010年4月9日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/18/220001.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/4/3/115866.html

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