■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/09/mh104547.html 



家族に対して衆生と同じく慈悲に接する

(明慧ネット)最近、自分と同じ年頃の青年同修と交流しました。交流の中で、一つの問題が浮き上がってきたので、皆さんと交流しようと思います。

 同修は自分の母親同修、あるいは父親同修が常に彼ら自身の認識で自分に要求してきて、自分は家族から遠く離れたところに行きたい考えさえ浮かんできたと述べました。しかも、同修の両親は現地ではよく修めていると認められている同修です。

 修煉者として、自分の家族に嫌な思いをさせたら、これ自体はとても大きな問題です。どうして、同修である親は、自分の認識で自分の子供を要求するのでしょうか? 一言でいうと、自分の子の次元が落ちることを恐れ、法を正す形勢に追いついていけないことを恐れているからであり、自分の怖がる心と情に対する執着があるからです。もう一つの方面から言うと、私たちは常人に対して真相を伝えるとき、また彼らの認識の度合いを見ながら、説明しなければならず、あまり高い次元のことを言ってはいけません。まして修煉者の達した次元は異なり、大法の殊勝さに対する認識もさらに大きく異なります。私は個人的に同修である親が自分の認識をもって、それに自分の情も加えられた不純な行為をするから、焦っても速く進められないのだと思います。

 しかし、われわれ青年同修はなぜ、かえって自分自身を見ないのでしょうか。この機会を自分が精進し、着実に修煉する機会として、また老年同修と切磋する良いチャンスと見なさないで、遠く離れようとするのでしょうか? 同修の皆さんが法を師とし、勇猛精進するよう希望します。

 2010年4月9日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/4/8/221109.html

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