■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/10/mh111861.html 



「依頼心」は修煉ではない

(明慧日本)待つこと、頼ることは依頼心の現われであり、重視すべき問題です。常人社会でも、「長いものにはまかれろ」といわれており、これが依頼心を助長しています。そのため、リスクを避けたり、長期にわたって他人と全体にすがる状態になりました。例えば、二人で一緒に台車を押すとき、自分の押す力が小さくなると、残りの人が強く押さなければならなくなり、難度も大きくなります。時間が長くなれば耐え切れなくなり、台車を押すことを止めてしまうことにもなりかねません。このようになっては、二人にとっても自分の任務を終わらせることができなくなります。

 「依頼心」は修煉を放棄する現われです。修煉者の道は、師父が私たちの受忍できる能力に従って按配されたものです。そのため、乗り越えようと思えば乗り越えることができますが、依頼心とはまさに乗り越えることをやめることであり、自分の負担すべき責任を押し出す行為であり、修煉を放棄するほかありません。

 大法弟子全体の昇華こそが師父に手伝って法を正すことに有益であり、法を正す進展を推し進めることです。邪悪は、私たちが衆生を救うことに対して妨害をもたらしています。例えばインターネットの封鎖、新唐人テレビ局の放送妨害等は、いずれも私たちの修煉と関係があります。もし、私たちが全体として大法の私たちの修煉の異なる次元への要求を満たすことができれば、邪悪は自ら消滅することでしょう。私たちの誰もがあるべき作用を発揮できれば、邪悪も妨害することができなくなり、衆生の救い済度もますますやりやすくなることでしょう。

 一部の人はすでに他の同修、外的な要素にすがることが習慣になっているので、私たちは全体として長い間、師父の要求している全体の向上、全体の昇華に達することができていません。早く突破すべきです。それらの大法の全体の円融のために邪悪の前で生死を物ともせず、圧力の中で毎日インターネットを使って資料を作成している同修は、いずれも様々な心性の試練と家庭的な難題の中で強い正念によって乗り越えてきました。邪悪による迫害の中で、師父を信じる正念によって環境を作り出してきました。

 全体が絶えず昇華できるように、一緒に衆生を救い済度することを妨害する依頼心を突破しましょう。

 2010年4月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/10/221277.html

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