正念を持って挫折に向き合う
文/中国の大法弟子
(明慧日本)師父はおっしゃいました「神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」(『マンハッタン説法』)。正法の進行は最後の時期に来ました、すべての大法弟子が急いで人を救い済度すべきです。だれかが人を救い済度することに影響を及ぼし、全体に影響を及ぼすことは妨害になります。中国の一部の地域では、同修の間に異なる認識や、異なる意見があるから、トラブルが起こり、お互いの隙間が広くなっています。同修の積極性は挫折します。実際、お互いに妨害しあっています。同修の間のトラブルを解決できずさらに損失をもたらしたことで、ある地域の状況は比較的ひどいのです。
協調人は、いろんな法を実証する活動をし、接触している同修は多く、同修の次元、境界、法に対する認識も異なり、トラブルを防ぐことは難しいです。しかし、協調人としては、自分を励ますべきで、計り知れない川の水を受け入れる海のように、豊かな心で異なる同修の認識を受け入れ、同修の自分に対する評価を気にするべきではありません。師父の教えに基づいて、ゆるぎない信念で修煉の道を歩み、無条件に師父が要求していることに従うべきです。あなたの言葉と行為が法から離れなければ、あなたの考えが法理に基づいているなら、だれがどう言おうとも重要ではなく、師父が認めればよいのです。トラブルが来たとき、人心と情に動揺しないで、落ち着いた後、まず自分を探し、自分の言葉と行いは法の基準に達しているかどうかを判断すべきです。
同修の観点、意見また交流文の中で、これらの問題を挙げた時、もし全体がもっとよく運行したいなら、人心をできるだけ放棄することです。これも向上の良い機会です。ともに法のため、衆生のために自我を放棄するべきです。同修の異なる意見に意気消沈し、修煉の歩調に影響を及ぼしてはならない。明慧ネットに掲載されている交流文章に正しく対処することです。それは同修の個人の意見と悟りで、法を代表していません。一遍の文章が原因で、一つの観念が同修の間の矛盾、間隔を生みます。間隔が広くなることは必ず全体協調に影響を及ぼし、衆生を救い済度することに影響を及ぼします。それは邪悪が最も望んでいることです。その心が私たちに是か非かを争うことを推進しています。
私たち一人一人の同修は理性的にはっきりとして、是か非かを争わないでください。是か非かに動揺している同修は考えてください、あなたが保っているのは人心、情であり、大法ではありません。大法のために、放棄できないものはありますか? 一人一人の同修が相手の輝きを見て、寛容し、同修を理解しましょう。とりわけ、協調人は努力することが多く、耐えることも多く、多くの時を他人の角度で問題を考えています。どんな状況の下でも、善を持って同修に接することができることは修煉者の一つの境界です。それぞれの同修の観点を強調してはなりません。法があるので、法の基準に従うことです。大法は不変の基準です、同修たちは力を一つの所に集中し、最大の努力をして自分の特技を活かし、大法弟子がやるべきことをしっかりと行いましょう。
個人の認識で間違っている所があれば慈悲なる指摘をお願いします。
2010年4月11日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/9/221215.html)
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