■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/11/mh122981.html 



6人の命を救った法輪功修煉者、再び強制連行される(写真)

(明慧日本)法輪功修煉者・パン本余さんは2010年2月21日の朝8時頃、チチハル市北局宅派出所と泰来刑務所の5人の警官に強制連行された。理由は、服役中の人が重病のため一時出所したことに対して、刑務所側で身体検査をするということだった。警官らはまた、パンさんの家族に医薬費として4000元を請求した。現在になってもパンさんはまだ戻ってきていない。

 さまざまな迫害を受ける

 パンさんは泰来刑務所で迫害され、心臓病、肝臓の腹水、心筋梗塞、吐血、頭部の腫れが大きくなった。自立した生活ができず、何回も危篤状態に陥った。しかし、警官の程強は、パンさんに「三書を書かなければ釈放しない、重病のため服役中の一時出所を上に申請しない」と脅した。2009年5月22日、刑務所側とチチハル市610弁公室などの法輪功を専門に弾圧する部門は、体が衰弱したパンさんを見て、責任を転嫁するためパンさんを家族に迎えに来させた。

食事ができなくなり、体の多くの箇所にタバコの吸殻による火傷と疥癬の痕跡が残るパンさん

 パンさんはベッドに寝たきりの状態で、体は2カ所ただれ、その傷口はきわめて深く、肝臓には腹水が生じていた。心臓病も極めて深刻な状態であったのに、警官は彼を刑務所に連行して行った。彼の生命は危険に陥っている。

 大法を修めてよい人になり、前後して6人の命を救う

 1997年の夏、近所の人がパンさんに法輪功の書籍、『転法輪』をプレゼントしてくれた。パンさんは、この本は人に心を修め、善に向かわせる本で、とてもすばらしいと思い、大法の修煉を始めた。修煉してから、長年にわたって持っていた良くない思想観念がなくなり、真・善・忍の要求通り、本当にすばらしい人になろうと修煉し、自分を律していた。1997年9月、突然列車が接近してきたとき、パンさんはレールの上に男の子と女の子の自転車が衝突して倒れているのを発見した。パンさんは彼らと、彼らが乗っていた自転車をレールの上から運び出して、汽車と旅客の安全を守った。

  パンさんはチチハル瀏園(嫩江流域)で川に溺れていた4人を救った。1度は溺れた人に腕を掴まれて肉がちぎれた。しかし、彼はやはり全力を尽くして、その人を岸まで引っ張りあげた。救われたその人は彼に感謝したが、彼は、「感謝する必要はありませんよ。死にかけている人を見て救わないわけにはいきません」と答えた。

  信仰を堅持したため、何度も拷問・虐待される

 パンさんは法輪大法を修煉したため、何回も中共に迫害された。1999年7月、パンさんは加格達奇党校に強制連行された。2カ月間洗脳され、その後、労働教養1年を言い渡された。パンさんはチチハルネン子山強制労働教養所(鉄路労働教養所ともいう)でほとんど毎日殴られた。ビニール管で頭を叩かれたり、水道から出てくる冷たい水を体にかけられたり、タバコの吸殻で火傷をさせられたり、椅子で頭を叩かれたり、お湯をかけられたりした。

 2000年7月にパンさんは再び労働教養処分を受けた。富裕労働教養所で、豚小屋でめった打ちにされて意識を失った。江沢民の迫害政策により、2人の法輪功修煉者が亡くなったことを訴えたため、富裕公安局に不法に逮捕された。富裕留置場ではベルトで顔を殴られて血だるまになり、また手錠をはめられ、鉄籠に監禁された。4年の刑を言い渡された後、北安刑務所に移された。北安刑務所では70数日間狭い独房に監禁され、受刑者に殴られて頭から血が流れた。独房では、敷き布団もかけ布団もなく、背中で手錠を嵌められ、血尿になり、血を吐き、手首と両腕が腐った。

 パンさんは省司法局の人が刑務所に視察にきたとき、無実の罪をかぶせられていると大声で叫び、また2人の法輪功修煉者が迫害され死亡したことも訴えた。刑務所の警官はパンさんは精神病だと言いふらした。その後、引き続き、拷問され、半月後、手錠を外されたとき、彼の両腕は動かなくなっていた。血圧は60—30で、1日中意識を失っており、いつ亡くなってもおかしくない状況になっていた。2005年6月18日にパンさんは釈放された。

  2006年4月30日、警官はドアを破ってパンさんの家に突入した。パンさんは仕方なく家を離れ、牛乳を配送する仕事で生計を維持した。同年12月8日、パンさんは再び捕まえられた。鐵鋒区610弁公室の王隊長は、パンさんを暖房の管に手錠ではめた後、意識を失うまでめった打ちにした。また、皮の靴でパンさんのお腹を蹴った。殴られて、パンさんは心臓、肝臓、腎臓が衰弱し、危篤状態に陥り、チチハル市第二病院に送られて緊急措置を取られた。その後、鐵鋒区裁判所はパンさんに7年の刑を言い渡した。刑務所では危篤状態に陥ると重病のため服役中の一時出所をさせる。しかし、泰来刑務所の刑法科・課長の張興軍は刑務所には鑑定資格がないという理由で、1年ほど重病のため服役中の一時出所をさせなかった。現在、警官は刑務所には鑑定資格があると言いふらしている。

  黒龍江省泰来刑務所は、黒龍江省西部地区に位置している。数人の法輪功修煉者がそこで迫害されて死亡した。チチハルの法輪功修煉者・梁金玉さんは刑務所で拷問されて、2010年2月5日9時30分にこの世を去った。法輪功修煉者・盧玉平さんは2009年5月30日に泰来刑務所で迫害されて死亡した。劉晶明さんは2005年12月に泰来刑務所で迫害されて死亡した。パン洪東さんは2005年5月15日に泰来刑務所で迫害されて死亡した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2010年4月11日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/24/220332.html

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