■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/12/mh132719.html 



内に向かって探すことは重要

文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)私は1998年に法輪大法を修煉し始めました。長年修煉しているとはいえ、精進が足りず、師父の慈悲と苦難な済度に申し訳ないと思っています。最近の修煉での感想を師父にご報告し、同修と交流したいと思います。

 私には息子がいますが、一人で育て上げました。小さいころから煉功場に連れて行き、一緒に学法し煉功をしていました。息子は聞き分けのよい子供です。しかし、ある日「私はもう仕事をしたくない。生きていることはとても疲れる」と言いました。最初は気にしませんでしたが、後になって、だんだん息子の魔性が大きくなり、自分を抑えることもできなくなりました。精神的に異常になりました。

 その時、焦ったせいか、病院に行くことに少し動揺し、修煉者がこのようにすべきではないことも分かっていました。仕方ないと思い、同修を探して子供の状態と私の心理状態を話しました。また病院で診てもらうという事を考えていたことも話しました。

 同修は「大法弟子なのになぜこんなことを信じるの? 気功師たちは皆憑き物が付いています。診てもらうと子供は危なくなります」と言いました。私は「どうすればよいの」と聞きました。同修は「修煉の中で偶然なことはありません。内へ向かって探すべきです。子供の態度や言動はあなたの執着心を捨てさせるために表れているのです。修煉の向上を妨げる執着を探せば、子供は自然に良くなります」と言いました。

 同修は私が子供に対する情が重すぎることを悟らせてくれ、私は非常に悟りました。師父は『転法輪』の中でおっしゃいました。「修煉は錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」 子供の態度や言動は、私の子供に対する情と執着を捨てることを教えてくれているのではないか。振り返ってみると、子供に対する情がとても重く、冬は寒くないか、夏は暑くないか、仕事は疲れないかなどを心配していました。いつも子供のことを考えていました。子供に対する情という執着を捨てず自分を律していませんでした。情に対する執着を放棄し、自分をしっかりと修めなければ、子供は変わらないと今になって分かりました。私は法理に従い自分を正しました。子供に対するすべての執着を捨て、正念を持って自分と子供の背後にある良くない要素を取り除こうと努力しました。その日、息子は帰ってきましたが変わっていました。また以前のように聞き分けのよい子供に戻りました。積極的に仕事に出るようになりました。

 私は師父の要求に達するのにはまだ程遠いでのすが、これからの修煉の道で法を師とみなし、各種の執着心を捨て、自我を放棄し、衆生を救い済度し、有史以前の誓いを果たすことを決心しました。

 間違っている所があればご指摘ください。

 2010年4月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/12/221356.html

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